友 断 ち

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04

 今まで忘れていた出会いのことを思い出しながら、わたしはどれだけ蓮に愛されていたのかを知る。
 嫌いだったら、とっくの昔にわたしの傍から消えてしまっていたんだ。
 それを考えると、本当にわたしは幸せ者だと思う。
「お前さ、オレがお前の傍からいなくなったら、どう思う?」
 小さく小さく、独り言のような問いかけが耳の中から入り込んでくる。
 蓮は相変わらず頼りない表情のまま、半ば諦めているような表情を浮かべていた。
 彼の中ではわたしは、終わったことに入ってしまうんだろうか?
 そう思うと、何だか胸の奥がぎゅっと締め付けられるようで、苦しくなっていく。
「……わたしはね」
 苦しさはわたしの想いが詰まっているせいなんじゃないかと考えて、とんちんかんなことを言うかもしれないけれど言葉にしようと決めた。
「勿論、寂しいよ。蓮がいなくなったら、わたしはどうしたらいいの?」
 もっともっと伝えたいことがあるはずだ。
 自分でもそれが分かっているのに、上手く言葉は声にならない。
 ちぐはぐな言葉になることはこの先も変わらないんだろうな……今、わたしが蓮に伝える言葉だけは。
 今抱く気持ちの名前を知らないわたしに、正しい言葉は見つけられない。
 ……それでも、何でもいいから言葉にしたいと思っていた。
 今ちゃんと言わなかったら……全部、終わってしまいそうで怖かったんだ。

「たった一日蓮と話せなかっただけで、傍にいられなかっただけで、すごく寂しかったよわたし。ぽっかり穴が空いたみたいで、その穴を埋めようと必死に蓮のことを考えたりして。いっくんが気を遣って声をかけてくれても……やっぱり蓮のことばっかり考えちゃって。怖かったよ。蓮がわたしの中でどんだけ大きな存在になってたんだろうって、篠倉蓮という人間はわたしの中ですごい存在なんだなって……思い知ったよ」

 今にも降り出しそうな灰色の空を、虚ろな目をして眺める。
「でもね、それが恋なのかどうなのかって聞かれたら……わたしはまだ、ちゃんと答えが出せないよ」
 最後にそれだけを口にして、わたしの言葉は終了した。
 蓮が望む答えを返せなかったことを、わたしは悲しく思う。
 だってわたしは、恋愛というものをよく知らないんだ。
 好きかどんな感覚か、上手く理解できないんだ。
 一通り話し終えると、蓮は小さく「そうか」と呟いた。
 その呟きの意味は、一体どんなものなんだろう?
 尋ねてしまいたいのに、それが怖くて何も言えない。
 視線を蓮へと移してみると、寂しそうに苦笑する蓮の表情が目に映る。
 明らかに望む返答ではなかったんだとはっきり理解し、それからまた胸を痛める羽目になった。

 恋人になろう、そう言えばよかったんだろうか?
 でも、お互いの気持ちや目的、感覚が違う中でその選択肢を選ぶことは一番いけないことなんじゃないかと直感で思う。
 それは明らかに蓮の真剣な気持ちを踏みにじる行為で、完全なるバッドエンドへの道へと通じているような気がした。
 蓮の心臓の音を聞いて、一瞬でも抱きしめられてドキドキした。
 好きと言われて嬉しくて、好きの理由を知って幸せに思った。
 嫌われたわけではないことが一番の安心になって、ホッとしたのも現実。
「蓮……もう、傍にいてくれないのかな? ……恋人にならないと、さよならするぞって……脅されてるみたいだよ」
 小さく問いかけて、わたしはじっと蓮の顔を見つめる。
 わたしの中の一番の不安は、気付けば移り変わっていた。
 だって友達をやめる理由がわたしに恋したからということは、もしも恋人にならなかったらわたしたちはどうなってしまうんだろう? そう、思う。
 もしも恋人にならない選択をして、じゃあさよならだねって蓮がいなくなってしまったら……そう考えると、わたしが選ぶであろう選択肢は一つしか残らない。
 ……これじゃあ、脅されているみたいなものだった。
 傍にいたいわたしは、嫌でも一つの選択しかできなくなってしまう。

「……そこまで、考えてなかったな」
 節目がちになって、蓮はぽつりとそう答えた。
 きちんとプランを立ててから行動に移すタイプだと思っていたのに、意外な返答にわたしはぽかんと目を丸くする。
 そんなわたしの表情を確認した後、蓮はまた詳しく話を始めた。
「正直……一子がちょっとでもオレを意識してくれたらって……『脅かしてみたかった』だけなんだよ。別に、『脅す』つもりはなかった。だからもし、お前が恋人になる選択肢を取らなかったら……オレは全部諦めて、また友達でいようって……うん、多分……思ってたと思う」
 何だか自信に欠ける返答だけど、よくよく考えれば、今まで散々鈍感っぷりを披露してきたわたしが、一気に恋人になる・ならないという選択肢まで辿り着ける確率の方が低いに違いなかったんだ。
「なんていうか……別に、無理に付き合わせようとか、そういうのはない。だって無理強いしたところで、オレが幸せになれるかって言われたら……答えはノーでしかない。一子もオレも、幸せじゃなきゃ何にも意味がないんだ」
 語り続ける蓮に、わたしはひたすら自分の気持ちを見出そうとしていた。
 わたしだって、蓮に幸せになってほしい。
 その鍵を握るのはこのわたしで、わたしが選ぶ選択肢で全てが決まってしまう。
 きっとわたしが恋を選べなかったとしても、蓮はきっと傍にいてくれるんだろう。わたしがそう望めば、蓮はその通りに従いそうだ。
 でも……わたしの脳裏に過ぎるのは、昨日言われた蓮の言葉。

『お前を友達として『見られなくなった』。だからお前と友達でいられない。友達が苦しい』

 それが蓮の本心で、たとえわたしを煽ろうとした言葉であったとしても、嘘があるとは思えない言葉。
 あの言葉が脳内に残っているからこそ、わたしは完全に甘えることが出来ない。
 甘えてしまえば蓮は、蓮だけが……一人抱え込んでしまうことになる。
「なんだか、難しいね。数学よりずっと難しい」
 思わずへらっと口にした言葉に、わたしは苦笑してしまう。
「そうだな。公式があって、それに当てはめるだけで答えが出てくれたら……楽だったろうな」
 わたしに乗っかるように、蓮も同じようなことを口にする。
「……ごめんな。オレが恋なんて気付かなきゃよかったのに」
 そうして、どうしようもないことに対しての謝罪が飛び出してきた。
 恋なんてしたことのないわたしには、蓮の全てを理解してあげることなんてできないんだろうと思う。
 だけど、きっと自分でもどうしようもないくらいに、恋というものが厄介で制御が難しいものであるんだろうというのは、蓮と接してみて十分に理解できたと思う。
 しょぼくれる蓮に、何と声をかけるべきか悩んだ。
 いや、いくつか言葉は浮かんでいる。だけどそれが伝えていいべき言葉なのか、それを考えると躊躇する自分がいて悩んでしまう。
「……謝る事じゃ……ないよ。しょうがないよ。わたしは恋愛的に人を好きになる感覚が今わたしが蓮が好きって思う感覚とどう違うのかとか、よくわかんないけど……あのいつもさらりと何でもやってのける蓮がお手上げなんだもん。それが一筋縄じゃいかないことくらい、分かるよ」
 わたしは残酷なことを言っているだろうか?
 恋愛は分からなくて、蓮への気持ちも分からなくて。『友達』という意識を植え付けられてしまったわたしには、当たり前を簡単に覆せることはできずにもがく。
 でも、好きでいることは仕方がないことだとも思う。

 恋愛的な感情を抱く蓮と、友達気分のままのわたし。

 二人が傷つくことなくハッピーエンドになる道なんてあるんだろうか?
 一つだけ思い当たる節はあるとしても、その道を選ぶとしたら時間がかかる。そして成功する確率は……五分五分だった。
「あのさ、蓮」
 半ば勢いでわたしは改まる。
「少し、時間をくれない?」
 ふわりと笑みを浮かべながら、しょぼくれたままの蓮を見つめた。
 目をまん丸にさせる様を驚いているのだと勝手に解釈しながら、冷静でない状態で話しても平気かな……なんて躊躇いが過ぎる。
「なんで、」
 無意識のうちに零れ落ちる蓮の言葉に、過ぎった躊躇いは消失した。
 問われたから続きを話す。
理由ができたことで話そうという決定的な意思が生まれ、ゆっくりと口を開いた。

「蓮がとっても真剣だから、わたしもちゃんと向き合いたいなって……そう思ったの」

 答えは分からない。蓮の望みは叶わないかもしれない。いつか蓮の傍にいられなくなるかもしれない。最悪、友達をやめることになるかもしれない。
 蓮はわたしが断ったとしても、いつも優しくてわたしの傍にいてくれる大切な友達でいてくれるに違いない。
 だけどそれは、今すぐに決断を下すべき事項であるかどうか……わたしの答えはノーだ。

 案の定驚きは増していくばかりのようで、蓮はやっぱり驚いたまま固まっていた。
 多分、わたしがそこまで真剣になるなんて思わなかったんだろう。
 とんでもなく失礼だと怒りたくもなるが、自分で考えても珍しいことをしている自覚があるので怒ったりはしない。
「言っとくけど、叶うかどうか分からないんだからね。わたしは友達気分が抜け切れなくて、もしかしたら別に好きな人ができてしまうかもしれなくて。結果、駄目になってしまうことも……あるんだから」
 話し終えてから、ふと恥ずかしくなって蓮に背を向けた。
「……これが蓮をもっともっと苦しめるなら……わたしは今すぐにごめんなさいって頭を下げるよ」
 顔も見ないまま伝えた言葉は、ちゃんと無事に届いたのだろうか?
 きっとわたしは、とんでもなくズルイ女だろうなって思う。
 わたしが単純に向き合いたいだけの自己満足。
 過ぎる可能性はいくらだってあって、それらのほとんどがいい可能性じゃない。
 既に俯いて頭が下がっている状態のわたしは、ドキドキと心臓を高鳴らせながら返事を待っていた。
 早く、何か言ってくれたらいいのに。
 無言が続くだけ、わたしの中の不安や恐怖は増していくばかりだから。
 今でも結局、自分のことしか考えていないんだなと自分勝手な自分に気付いて、思わず苦笑いを浮かべた。


「……そんなの、期待しかしねーよ……ったく」
 背後から小さく呟いた声が聞こえて、はっとなって振り返る。
 その時、わたしは蓮と背を向けてしまったことを何となく後悔してしまっていた。
 無防備を晒していたのが、またしてもミスに繋がってしまった。

「早く、オレを幸せにしてくれよ。そうしたらお前のことだって、たくさん幸せにしてやるからさ」

 優しくて穏やかな表情がわたしの瞳に焼きついた……そう思った瞬間、再びぐいっと腕を引っ張った蓮は、今度は、確実に、わたしの身体をぎゅっと抱きしめた。
 今日何度目の不意打ちだろう。
 思い出そうにも頭の中が真っ白で、何も考える余裕などない。
 そもそも、こうして家族や同性の友達以外に抱きしめられることなんてなかったんだ。
 いっくんが背後からわたしを締め上げることはあったとしても、こうやって優しく抱きしめられた記憶なんてない。
「はは……一子の心臓、すっげー聞こえてくるぞ」
「なっ!」
 こんな距離でドキドキしない方がおかしいのではないだろうか?
 必死な中でそんなことを思い浮かべながら、蓮のからかうような言葉が恥ずかしく思える。
 自分の心臓の音が聞かれていることがこんなに恥ずかしいと思えるなんて、考えもしなかった。
「オレにドキドキしてくれてんの?」
 更に追い討ちをかける蓮に、わたしの顔は熱くなるばかりだ。そして更には、心臓の音もおまけで速くなっていく。
 これ以上速くなってしまったら、死んでしまうんじゃないだろうか?
 ドキドキが酷すぎて、このまま身体や気持ちが追いつかなくなって、死んでしまうんじゃないだろうか?
「……もし心臓の音が速すぎて死んだら、蓮のせいだから」
 何も考えぬまま無意識に任せてわけの分からない発言をすると、蓮はこの状況でも噴出し、必死で笑いを噛み殺しているようだった。
 何でコイツは普段笑って欲しい時には笑わないくせに、こういう笑わなくてもいい時に笑うんだろう。
 もっと気持ちに余裕がある時に笑って欲しいものだ。
「笑うな! こっちは死活問題なんだから! てか解放しろー!」
 笑われたことが恥ずかしかったのか、悔しかったのか。
 わたしは蓮の腕の中でじたばたしながら、もがいて離れようと試みる。
「……やだよ。やっとこうやって触れられたのに……勿体無い」
 離れるどころか力を込め始め、ついに身動きが取れなくなってしまった。
 蓮の体温はどんどんわたしに流れ込んでいき、心臓の音は二人分混ざり合って何が何だか分からなくなっている。
 分かることはと言えば、二人してやけに速い心音を繰り返していたということだ。
 ……こうやって密着するから、心臓も対抗して速度を上げているんじゃないかと疑ってしまう。
 やけに身体や顔が熱いのは、きっと梅雨時期に抱き合ったりして暑苦しい状況に陥っているからだ。
 決して蓮にドキドキしているとか、そんな理由じゃない。と思いたい。



 すっかりわたしは蓮のペースに飲み込まれてしまい、
 暫く抱き合ったまま解放されることもなく、

 そして……屋上にいる間に、わたしが返事をすることもなかった。
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Copyright (c) 2013 Ayane Haduki All rights reserved.  (2013.05.05 発行 / 2017.04.05 UP)