図書室の住人

32.夏休み直前:クラスメート編

 週明けの月曜日は、採点された答案用紙に一喜一憂するクラスメートの姿がちらつく。
 わたしの答案は自信通りの結果で、着実に成績は右肩上がりだった。
「おー? 立花って結構頭いいのな」
 帰りのホームルーム前、声をかけてきたのはクラスメートであり友人になった和泉くん。
 今日三枚目の答案ももれなくチェックし、そんな言葉をかけてきたのだ。
「今回は自信あったんだー」
 特に謙遜することもなく、わたしははにかみながらそう返事をする。今年から香澄先輩という強い味方が付き、榊くんも交えて三人で勉強をすることが多かったせいだろう。
 学年が違う同士だけど、三人で開いた勉強会は意外と集中できたし、一緒に過ごすだけでわくわくしたものだ。
「そっか。んじゃ、今度は俺ともやろうぜ。てか教えてくれ」
「逆に教わりたいくらいの成績なのに?」
「つれないなー立花は」
 和泉くんがからかうような口調で話しているけれど、わたしの言葉はお世辞でもなく真実だった。今までテストの答案を見せ合うようなことはなかったが、授業を受けていると先生に指名される度に彼の頭の良さを垣間見ていた。返ってきた答案用紙の点数だって、わたしとあまり変わらないどころか、今のところ全教科和泉くんの方が点数が高い。
「じゃあ夏休み宿題やろうぜ。そんで写させてくれ」
 楽しそうな和泉くんは、これまたおかしなことを口にする。
「自分でやりなよ」
「そこは乗っかろうぜ」
「うーん」
 正直わたしは、まだどんな反応をすればいいのか分かっていない。
 本当はここで「じゃあいつやる?」と聞き返せばいいんだろう。さっきの勉強会の誘いや、友達になってから和泉くんに誘われたことすべて……とは言わずとも、一つや二つ、乗っかれそうな話題には試しにでも食いつけばいいのに、わたしは未だにうまく反応できずにいた。
 その理由はなんだろうか?
 ただ慣れていないこともあるけれど、更に二人だけというのが躊躇わせているのかもしれない。

 そして引っかかるのは……和泉くんの好きな人のこと。

 先月の朝、一緒に登校して恋なのか、そう思い込んでいるだけなのかと悩み翻弄されたあの日。確かにはっきりと、わたしは和泉くんに「好きな人がいるから」と言われたのだ。
「……わたしとばっかり一緒にいて、いいの?」
 不意に気になって、思わずぽつりと呟いた。それは一応、和泉くんへの思いやりのつもり。本人に怒られそうだけど、それ以上に申し訳ないと思う気持ちも浮かんできてしまうのだ。
「俺の好きなヤツに誤解されるからって?」
 何でもないと言う風に聞き返し、それにゆっくりと頷くわたしを確認してから和泉くんは盛大な溜息をついた。
「立花はほんと心配性というか、いろいろ気遣いすぎというかなんというか……」
「でも」
「友達と一緒にいるだけだろ? 大体、男女二人で話しているだけで付き合ってるだのなんだの、単純すぎだっつーの」
 わたしの頭をぐしゃぐしゃに撫でながら、にっこりと笑いかける。

「でもまあ、ほどほどにはしてるつもりなんだけどな」
 どこが。

 心の中で反射的にわたしは返事をする。既に人の頭を撫でている時点で、ほどほどのラインは超えてしまっている気がする。
 おかげで最近、周りのわたしを……いや、わたしたちを見る目が変わった気がするのだ。
 未だに友達と呼べるクラスメートは和泉くんだけ。これから仲良くなれたらいいなと思うのに、その前に変人のレッテルを貼られてしまったらどうしようか……。
 ほんの少しの不安を抱きながらも、和泉くんの満足気な顔を見てしまうとなんだかどうでもよくなってしまう。
 それに、最近距離が縮まったくらいで今までと大して変わらない状況なのだから、変人のレッテルを貼られているのはずっと前からかもしれない。今更な話だ。


「おーい、和泉。立花」
 やり取りが一区切りしたところで、クラスメートで和泉くんとよく喋っている男子……伊藤くんが声をかけてきた。
「おう! どうした?」
 和泉くんが反応し、わたしは黙ったまま二人のやり取りを見守る側に回る。
「終業式の日さ、クラスで遊びに行こうぜーって話しててさ、そのお誘い」
「へー。今どれくらい集まってんだ?」
「一応今のとこ声かけたヤツ全員来るぜ。今十三人くらい」
 そんな計画があったことを、わたしは今初めて知った。
 それは和泉くんも同じようで、驚いた様子を見せている。
 確かにこのクラスは良くも悪くも普通のクラスだ。
 不良やヤンキーに分類される者はいないが、全員が静かで地味ということもノリが悪いこともない。穏やかで優しく、殺伐としたグループ行動というのもあまり見受けられなかった。
 そういうクラスだからこそ、わたしのような存在も許されているし、こうして声だってかけてもらえるのだ。
「俺も行くぜー」
 和泉くんは迷うことなく了承し、伊藤くんとハイタッチしている。
 ……わたしもこうしてすぱっと返事ができればいいのに。
 人の誘いに乗るということに最近少しずつ慣れてきたわたしでも、まだ香澄先輩や榊くんだけで精一杯だ。現に和泉くんの誘いには一度も乗れていない。

「立花はどう?」
 勿論、和泉くんが答えたなら次はわたしの番になる。
「えっと」
 でも、やっぱりうまく言葉が浮かんでこなかった。詰まった言葉は喉を堰きとめるように、次の言葉を紡ぐ邪魔をしている。
 ここで乗れなければ、友達作りのミッションは始まる前に終わってしまうだろう。結局一学期が終わっても、和泉くんしか友達ができていないのだ。こうしたイベントに参加しなければ、今年は終わったと言っても過言ではない。

「立花も参加だよな!」

 そこで救いの手を差し伸べてくれたのは、ずっと助けてくれていたクラスの友人第一号。
「お前には聞いてねーよっ」
「いてっ! なんだよ~」
 楽しそうにじゃれあう姿に一瞬戸惑いがよぎったけれど、それでもわたしの勇気を振り絞るには十分だった。
「う、うん! 参加する……って、わたしが行ってもいいのかな?」
 言ってから、余計な言葉を付け足したことに後悔が押し寄せる。
 だけど今更言ったことはどうしようもないし、何より二人の反応はあたたかかった。
「誘いたくなかったら最初から誘わねーから安心しろよっ」
「立花~。ネガティブすぎるから友達できねーんだぞ?」
「うん……ありがとう」
「おい、そこは反論しろよ」
 わたしはどこまでもウザくてネガティブで大げさだったけれど、でも今のわたしにはこれだけで精一杯で、失礼なことを言われたことさえ気付かなかった。
 やっぱりこの世界は優しすぎる。
 わたしは何だか気が楽になって、へらっと力のない笑みを浮かべた。

「おーい! ホームルーム始めるぞー!」
 担任が教室にやって来ると、クラスメートが慌ただしく自分の席へ戻っていくのが目に映る。
「んじゃ、詳細はまた改めて」
 伊藤くんがそれだけを言い残すと、その場はお開きとなった。
 ……勢いとはいえ、ものすごいことになってしまった。
 今更心臓のリズムが加速し始め、テンションがぐんぐんと上がっていく。
 何年も学生をやってきて夏休みもやってきていたはずなのに、去年までとは全然違っていた。
 少なくとも、家族以外と過ごすことなんてなかった。クラスメートと遊ぶ約束をしたり、学年が違う香澄先輩や榊くんと夏休み会おうなんて話したり。読書だけに目を向けていたころの自分からは想像もできない展開だ。
 しかも、誰かとの約束や誘いというものは死ぬほど嬉しいと思う。もしももっと早くに気付けていたなら、人生はもっと眩しくてかけがえのないものになっていたのだろうか?
 そんなことを考えても、過去はどうしようもできない。むしろ、そんなどうしようもない自分がいたから今があるのだと思うと、過去は過去で大事なのだとひっそりと思う。
 学生のうちに気づけたことに感謝しながら、担任の連絡事項に耳を傾ける。

 確実にわたしの世界は、良い方向へ向かっていた。
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