図書室の住人

30.古本屋さんへ行こう

 ファミレスを後にしたわたしたちは、とある本屋を目指して歩いていた。
 本屋と言っても古本屋で、大通りからはずれた場所に小さな古本屋があるのだと香澄先輩の勧めで行くことになったのだ。
「結構歩くんですか?」
「うーん。ちょっと駅からは歩くんだけど、結構いいところだから気に入ってるんだ。この街って古本屋さんないし」
 そんな会話を交わしながら、大通りから二つほど離れた通りを歩いている。人通りの多さはまばらになり、気を遣わずに歩けるのは安心できた。
 あまり街中を散策することがないわたしには知らない情報で、榊くんも知らないという。
 できれば新品で買う方がメリットは多いのだろうけれど、学生でお金が限られた身としては、新規開拓にうってつけだと思った。買って気に入ったのなら、次は新品でその作者の作品を追いかければいいのだから。

 暫く歩いた先に、『古本屋 さがの』という看板が見えてきた。
 わたしが想像していた古本屋像は、築百年くらいの古びた店構えで、ちょっぴり不気味でミステリアスな雰囲気を醸し出している。店主はおじいちゃんで、この街の歴史を良く知っていたりして……なんて、物語でありがちなものだった。
 だけどそこに建っているのは、最近建ったばかりのような新築を思わせる雰囲気で、外から見てもオシャレで清潔感や落ち着いた雰囲気がある。
「半年前にオープンしたばっかりでね。あんまり古すぎると最近の本がなかったりしてさ、ここはいろんな年代の本が揃っていて結構おススメだよ。店長さんもいい人だし」
 にっこりと笑いかけながら、香澄先輩が先頭を切って店に入って行く。わたしと榊くんもそれに倣い、後に続いた。

「いらっしゃい」
 店に入ってまず、店長さんがわたしたちを出迎えてくれた。若くて優しそうな雰囲気を醸し出すその店主さんのおかげで、わたしが抱いていた小さな古本屋像は砕け散っていく。
「静人くんもいらっしゃい。今日はお友達も?」
「そうなんです。みんな本好きなんで」
 親しげに話している様子を見ると、先輩と店長さんは知り合いのように見えたけれどどうなんだろうか。
「こちらは学校の後輩で立花梨乃さんと榊悠吾くん。えっと、こちらは店長の嵯峨野さん。俺はよくここに来てて、いろいろ話とかさせてもらってるんだ」
 先輩の丁寧な説明と紹介で浮かんだ疑問は解決し、榊くんと揃って挨拶をした。店長の嵯峨野さんは、突然来たわたしたちにも優しく対応してくれて、お店の名刺までくれたのだった。
「まあ僕のことはそこそこでいいから、みんなはゆっくり見ていってよ」
 にっこりと笑顔でそう言いながら、嵯峨野さんはカウンターの方へ戻っていく。
「はい、そうします」
 先輩が優しく返事をすると、顔を見合わせて三人で本棚を眺める。
 本がただ並べられているだけではなく、きちんとカテゴリ分けや作者順など工夫が施されていて、手書きで書かれたカテゴリの名前やおすすめの一冊のコーナーなど、どこか温かい雰囲気が店内を包み込んでいる。
 初めてのお店で緊張する気持ちを和らげ、安心させてくれるようだった。
「いいところですね」
 まだ一冊も手に取っていないのに、素直な気持ちが溢れていく。
「でしょ? きちんと整理されているから探しやすいっていうのもあるんだけど、嵯峨野さんのおすすめの一冊とか定期的に変わるから、それを見に来るだけでも楽しくなっちゃうんだよね」
 楽しそうに話す先輩が気に入るのも分かる気がした。
 わたしも眺めているだけでわくわくするし、時間があるなら隅から隅まで一冊ずつじっくり見ていきたいと思う。
「俺ちょっとあっちの方を見てくるよ」
 先輩がわたしたちに声をかけると、そのまま目的の本棚へと歩いていく。
「わたしたちも好きに見よっか」
「そうですね、じゃあ」
 そして会話もそこそこに、わたしたちはそれぞれ見て回ることになった。

 わたしが最初に訪れた棚は、映像化された作品やじわじわ話題になっている作品、店長のおすすめ本など、何かしらの特集が組まれたものだった。
 中にはわたしが好きな本の中でマイナーに分類される本や、大好きな推理小説の本が紹介のポップと共に並べられていて、それだけのことが嬉しくて仕方がない。
 すっかり親近感が湧いてしまったわたしは、推理小説の隣に置いてあった本を手に取った。
 まだ読んだことのない本で、魔法使いの男の子が必死に普通の男の子として日常生活を送る、という話のようだ。何度挑戦しても途中で絶対に正体がばれて孤立してしまい、様々な地を転々としながらも諦めずに頑張る、というものだった。
 おすすめコーナーにあり、まだ読んだことがないというのも大きな要因で、わたしは本を戻さずに次の棚を眺める。
 次の棚からはカテゴリ別に並べられており、背表紙を一冊一冊確かめながら興味のある本を手に取り、戻すを繰り返していた。
 ちなみにわたしが見ているカテゴリは恋愛小説。本屋ではそこまで熱中しておいかけないからこそ、新しく開拓しようと思ったのだ。
 ……あとは、今のわたしに参考になる本があるかもしれない……なんて気持ちもある。
 そんな時、背表紙を追っていると、一冊の本がばっちり視界に飛び込んできた。

『初恋との向き合い方。』というド直球なタイトルのそれは、フィクションと分かっていてもわたしの興味を惹きつけるには十分な一冊だった。
「うーんっ」
 だけど不運なことに、届きそうで届かない場所に配置されている。
 頑張って背伸びをすれば触れることはできる。でも、その一冊を引き抜くことは叶わなかった。
 まるで、今の自分を表しているように思える。
 きっと、触れている……わたしの中にいるはずの想い。だけど決定的な何かが足りない。正体を知ることはできない。誰が好きで、どの好きが恋で、わたしがどうすればいいのか……何も分からない。
 今、中身どころか表紙すら見えない一冊を、どこか恨めしい気持ちで見つめる。

 わたしは、あの本に何を期待していたのだろう……。

 手に取ることが叶わなかったあの一冊は見なかったことにして、違うカテゴリの棚へ視線を移した。
 これもまた深く触れたことのないライトノベルの棚。
 タイトルだけで内容が分かってしまうような長いタイトルや、意外と興味をそそるファンタジックなタイトルなどが並んでいて、それもまた新鮮な気持ちを抱かせる。

「わっ」
「うおっ」
 本に夢中で横移動をした時に、うっかり誰かとぶつかってしまった。
「す、すみません」
 先に謝ってきたのは相手の方……榊くんで、何度も何度も頭を下げてくる。
「ううん! わたしもちゃんと周り見てなくて……ごめんね」
「オレもつい夢中になってしまって……」
 謝っているうちに目が合い、何だかおかしくなって二人でひっそりと笑い合った。そして次に榊くんの手元に目が行き、何冊か本を持っているのが分かる。
「それ買うの?」
 尋ねてみると、少し照れた様子で榊くんは頷いた。
「さっき香澄先輩に勧められたりとか、前に本屋で見かけて気になった本とか、です」
 そう言って見せてくれた表紙は、片方は読んだことがある本、もう片方は見たことのない本だった。
「そっちの青い表紙の本……読んだことないから、今度よければ貸してもらってもいいかな?」
 榊くんよりは本を読んでいると思っていたけれど、わたしが読む本と榊くんが読む本が必ずイコールとは限らない。本はこの世に数えきれないほど存在しているのだから、当然と言えば当然だろう。
 逆に貸してもらうというのは新鮮で、何だか嬉しくなってくる。
 榊くんも同じ気持ちだったのか、嬉しそうな表情でわたしを見つめながら本を抱きしめていた。
「は、はい! 読んだら貸しますっ」
 なんでだろう。嬉しそうな榊くんを見ていると、心の奥がぽかぽかと温かくなってくる。
 どういう理由で嬉しそうなのかは、正確には分からない。でも何故か今のわたしには、嬉しい理由がなくてもいいように思えたのだ。


 榊くんは本当に不思議な人だ。
 香澄先輩がわたしを導いてくれる人なのだとしたら、榊くんはわたしを悩ませる人。いつだって知らない感情をくれる。そして、考えさせられる。
 今だってそうだ。
 ファミレスで、こちらまでもが緊張してしまうほどに真剣な顔をしていたのに、今は無邪気な笑顔を浮かべている。相変わらずの頬の赤さも、時折見せるような寂しそうな顔も。わたしの心臓が刻むリズムがおかしくなってしまうような表情をたくさん見せては、疑問ばかり浮かんでしまう。

 いつからだろう。こんな風になってしまったのは。
 なんなのだろう。この感情の正体は……。





「決まった?」
 二人だったところに香澄先輩もやってきて、わたしの心は少しだけホッとした気持ちに包まれていた。何故ホッとしたのかという疑問もあるが、ここは深く考え込まないようにしてしまう。
「オレはこれを買おうと思って」
 わたしに見せた時のように楽しげな様子で本を見せる榊くんに、先輩も嬉しそうな表情を浮かべている。
「あ、この本……あったんだね。面白いからぜひ読んでほしいんだよ~。でもこっちの青い表紙の本は初めて見たなぁ。よかったら今度貸してよ」
 思わず榊くんへ視線を向けると、同じタイミングだったのか視線がぶつかり合う。そして、おかしくて思わず笑ってしまった。
「え? どうしたの?」
 だって、先輩の反応がさっきのわたしと同じだったから。
 少し困惑気味の先輩を挟んで笑い合うわたしたちは、楽しくて嬉しくて、再び温かい気持ちを抱く。
「いえ。先輩がわたしと同じこと言ったのでつい」
「なので、立花先輩の次でよければお貸ししますよ」
「そういうことかー。じゃあ立花さんの後で貸してね」
 わたしたちしかいないことをいいことに、わいわいとお互いに手に取った本を見せ合う。
 読んだことのある本、初めて見る本などいろいろあって、貸し借りの予約が始まったりもする。
 それをただそれだけのことで片付けてもよいかもしれない。だけどわたしは、この時が楽しいと、永遠に続いてほしいと……何度目かの願いを胸に抱いた。

 いろんな感情がわたしの中を駆け巡る。楽しい気持ち、嬉しい気持ち、温かい気持ち、不思議な気持ち、ずっと続いてほしい気持ち……名前の知らない気持ち。

 そしてつながるのは、ファミレスで榊くんと交わした約束。

 そこできっと、わたしが抱く不思議な気持ちの正体を知ることができる……そんな気がした。
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