図書室の住人

28.大切なものは、いつだってすぐ傍に。

 あの時のわたしの言葉は、まるで責めるような言葉だったな……今ならそう思う。
 しかし過去に犯した過ちは正すこともできず、今自分に出来ることは、過ちをきちんと受け止めて、また同じ後悔を抱かないようにすることくらいだった。


 榊くんと話した一件については、『時間を下さい』という榊くんの言葉で保留となった。
 あの時は薄らと『あの時の真意をそのまま話せばいいのに』なんて文句の一つが飛び出しそうだったが、今思えば、動揺して頭の中がごちゃごちゃしている(あるいは真っ白になっている)時に聞かなくてよかったかもしれないなと思う。
 真実を口にするつもりが全然違うことを口にしてしまい、またこじれていくかもしれない……と考えた結果だからだ。……まあ、わたしも同じような失敗があったからこそ、かもしれないけれど……。
 そしてあの日以来、榊くんから話すまであの話題はしなくなった。
 あの日いつも通りに図書室へ行き、香澄先輩と三人で読書をしたり話をしたりしても、翌日の朝に顔を合わせて挨拶を交わした時も、放課後に図書室で三十分ほど二人っきりになったとしても、その後香澄先輩と三人でわいわいした後も。
 三人でいる時はともかく、二人っきりでさえもあの話題はしなくなってしまった。
 いつも通りに接することができているのは幸いかもしれない。
 しかし、わたしは時が経つにつれて不安が増していく。

 ―――まるで、あの日のことは夢だったんじゃないかって思ってしまうから……。

***

「そういえば、立花の後輩にちゃんと言っといてくれた?」
 榊くんを呼び出した日とは、ずばりその日の朝、彼と登校した日を指す。
 あの日から一週間後の昼休み、和泉くんが通り過ぎるついでにわたしへ話しかけてきた。
 誤解についてはその日のうちに解決していたため、何だか今更のような問いかけのように感じる。
「うん、すぐ言っといたよ」
「何かこじれなかった?」
「大丈夫……かな」
「ふーん。そうかい」
 心配してくれているような、そうでもないような……どちらともいえるような態度を取る和泉くんに、わたしはどう反応していいのか分からずに返答に困る。まるで嘘をついているのがばれているかのようで、心の中で動揺が隠せなかった。
 少しの間沈黙が訪れ、その間も和泉くんはわたしの傍にいる。この状況を一体どう対処すればいいか……どんなに考えても解決策は見出せず頭を抱えたくなった。
「そういえば……あの日、立花がどうして挙動不審だったか聞きたかったんだった」
 本日二度目のそういえばを聞いたと思えば、またしてもわたしへの問いかけである。
 それはとても言いづらく、だけど彼だからこそ答えたいと思ってしまう。
「何か始めようって雰囲気だったけど……何かあったか?」
 先ほどの素っ気なさが嘘のように消え去り、和泉くんは穏やかな雰囲気で追求してきた。追求とは言っても、多分彼のことだ。無理やり答えを聞き出そうという気持ちはなく、話せる範囲で話せと言いたいのだろう。その先の言葉はなく、わたしの返答を待っている。
 言えば笑われるかもしれない。でも、話せばスッキリするかもしれない。
 葛藤する気持ちに翻弄されながら、少しの間、再び沈黙が訪れる。しかし、その沈黙もあっという間に消え去った。
「えっと……いろいろ、心境の変化があって。もっと周りの人と関わろうって……そう、思って」
 わたしが口を開く。迷っていたはずの気持ちも吹き飛ばして、あっさりと自分のことを話し始める。
 驚いたような表情を見せた和泉くんは、ぽかんとした後にぷっと噴出した。予想通りの反応と言えばそうなのだけど、やっぱり笑われるのはへこむ。
「いや、何がどうしちゃったわけ……?」
「い、いいじゃん……いろいろあったの。いろいろ」
 笑いを必死で堪えるような言い方にムッとしながら彼の言葉に返答した。
「……でもま、いいことじゃないですか」
 そして最終的に応援してくれる姿勢になることも、予想通りだった。
「それにしては目立った動きは見られないけど」
「うっ」
「はは、冗談冗談」
 からかうように笑い、わたしはその一言一言に翻弄され、うろたえたりムッとしたりと忙しい。
 だけど話してみると、スーッと気持ちが楽になっていくような気がした。
 それは香澄先輩と話したことでも感じたことだけど、自分のことを誰かに知ってもらえるということが自分にとってどれだけ大切なことか……今ならよく分かる。
 だからこそ今、わたしの気持ちは軽くなったんだろう。
「他にもいろいろ考えることがあって……いろいろやってるうちに、行動に移そうと思ってたことも先延ばしになっちゃって……って、言い訳だね」
 和泉くんの言うとおり、この一週間、わたしは友達作りに対して何の行動も起こせていなかった。それよりも榊くんの一件が気になっていて、考え事をしているうちに一日は過ぎ去っていく。
 うだうだしている間に大事なことが疎かになっていって、友達を作ることも、今まで一番大切だったはずの読書も、ここ最近ずっとわたしを翻弄してきた恋愛感情についても……全てが何だか中途半端だった。
 中途半端と分かれば一つでも解決しようと焦り、また失敗してうだうだと悩んでしまう。
 はまってしまった悪循環から抜け出せぬまま、既に一週間が過ぎてしまったわけだけど、今現在も解決の糸口ははっきりしないままだ。
「まあ、焦らずゆっくり、今できることを少しずつやるしかないだろ」
 小さく息をつきながら和泉くんはまさにそうだと思えるような言葉を紡ぐ。
「んで、どうしても行き詰ったら……誰かに頼ればいいさ。家族とか立花の友達の先輩後輩とか。何なら俺でも話くらいは聞くさ」
 そして、和泉くんは優しい笑顔を浮かべた。それは一週間前の朝に見た笑顔に似ていて、少しだけあの日の鼓動の速さが蘇るように感じる。
「ありがとう。何かあったら話聞いてね」
 自然と笑みがこぼれ、お礼の言葉もすんなりと飛び出していった。
 甘えてばかりなのはいいことなのだろうか。
 たまにそう思うけれど、今自分にできることは少ない。まだまだな自分が誰かにしてあげられることなんて、もっと少ない。
 だから、今は与えられる好意に素直に甘えていいんだ。
 いつかわたしが成長した先で、恩返しをしたい。助けられる時に、わたしができることが降りかかった時に、できることをできるだけ、すればいい。
 最近は弱い自分も少しずつ受け入れられるようになっていた。
 だからこそ、友達を作りたいと……そう思えるようになったんだ。

「あのさ」
 和泉くんが改まったように話しかけてくる。
 その顔には珍しく気まずそうというか、難しそうというか、なんといえばいいのか分からないような表情を浮かべていた。
 首を傾げながら和泉くんを見つめていると、そっと視線を外され、横顔だけが目に映る。
「立花さ……そろそろ、認めてくれてもいいんじゃねーの?」
 それから、わけの分からない言葉がわたしの耳に届いた。
「え?」
 ぽかんと口をあけたまま、何がどうなっているのかと不思議に思う。
 認めるってなんだ。既にいろいろな弱い自分を認めてきたけれど、他に何か忘れていることがあったんだろうか。
 すると、和泉くんは分かっていないわたしに対して、呆れたように溜息をついた。
「友達認定。前に話した時は何も言われなかったけど、こっちは友達だって思ってるんだ。立花の友達枠が埋まってるっていうなら……俺はまたクラスメート枠に留まるけどさ」
 和泉くんの言葉に、わたしの心はぽかぽかと温かくなる。
 わたしは目の前のことばかり気にしていて、本当に傍にあるものに気付けなかった。
 灯台下暗しというのはこういう時に使う言葉なのだろうか?
 意外な言葉と、もっと早く気付くべきだった事実に目を大きく見開きながら、照れくさそうに頭を掻く和泉くんを見つめる。
「ごめん……抜け落ちてた」
 意識しないところで言葉は零れ落ちていき、和泉くんがわたしと視線を交えたことを確認したその時、わたしはこう返事したのだ。
「友達になってください」

 それはもう、今更のような言葉だ。わたしの言葉に和泉くんは噴出して笑い、わたしもおかしな空気に思わず笑った。
 もっと早く認めてもよかったのだ。
 今更こんなことを言わなくたって、わたしたちはとっくに友達のようなものだった。和泉くんが言っていた通りだったのだ。
 本を貸し借りしたあの時から、きっとずっと、友達のようなものだったのだ、と。
「了解。まあ多分、今とあんまり変わらないだろうけど……とりあえず立花の第一歩として、な」
「うん! ありがとう」


 こうして、わたしの友達計画は進行していたのでした。
 ……次の問題がすぐ傍に訪れていることに、気付けないまま。
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