図書室の住人

22.三人の幸せなウサギ

『今日の放課後空いてる? お土産渡したいから会えたら嬉しいな』
『香澄先輩からのメール見ました? とりあえず靴箱で待ってます』
『今日は早めに帰れそうだ。帰りに本屋へ行くつもりだけど何かいるか?』

 全ての授業後のホームルームが終わってから携帯を開いてみると、珍しく三通もメールが届いているのが確認できた。
 一通目は香澄先輩。明日まで会えないと思っていたからこれは嬉しい内容だ。『行きます! どこにいますか?』と返信。
 二通目は榊くん。今日は当番じゃないとはいえ、図書室で落ち合う約束をしていたから助かる内容だ。『了解! すぐ行く!』と返信。
 三通目はお兄ちゃん。基本的に放課後の時間帯に送ってくるいつものメールだ。『こないだ本買ったから大丈夫、ありがと』と返信。
 あらかた返信を済ませると、まずは靴箱へ向かう。
 そこにはちょっとした人だかり……という表現は違うか。でも似たようなもので、以前見かけた光景が広がっているのが見えた。
「えー。榊も行こうよー」
「いや、オレは基本的に放課後は用事が」
「さすがに毎日図書当番ってわけじゃないんでしょ?」
「そうそう。たまには遊びに行こうよー」
「ええっと……」
 多分クラスの女の子なんだろう。前に見かけた時のように囲まれて、今日は困った様子でたじたじになっていた。
 声が大きめだったので何を話しているか丸聞こえで、どうやらいつもなら図書室に逃げ込んで難を凌いでいるのに、今日は珍しく靴箱で待機していたから、そこを狙って声をかけたんだろうな、と予測する。
 榊くんにとっての図書室は、当初は逃げ場所であったと言われたことを思い出しながらこの光景を見ていると、気乗りしない人間からすれば、この状況からは逃げたいっていう気持ちも分からないではない。
 ……クラスの人気者を演じてしまったからには、こうなる運命だったのかもしれないけれど……。
「てかさ、放課後の用事って何やってんの?」
「そうだよねー。図書当番以外だったら別に暇なんじゃないの? バイトとか?」
「でもうちバイト禁止じゃない?」
 女の子たちは容赦なく核心を突いた質問をぶつけ、榊くんは追い詰められたようにおどおどとしながら視線を泳がせている。
 本来、ここで見ていないで助けるのが筋なんだろうが、今のわたしにはどう助けるべきかが見出せなかった。突然声をかけたとしても、明日から榊くんが余計な質問攻めに遭う確率が高い。図書委員の振りをして図書室に連れて行く手もあるが、それは遠回りになってしまう気がする。
 ……わたしが榊くんと同性だったなら、女の子たちが不快に思うこともなく、自然と連れ出すことができるのかな。
 そう思うともどかしくて、何も助けになれない自分に思わず溜息が零れた。

「まあまあ、その辺にしてあげてよ」
 その時、ただ見守っているうちに新たな人物が現れた。今度は男の子で、にっこりと優しげに微笑んでいるのが分かる。
「君らにも言いたくないことの一つや二つあるでしょ? 榊にもそういうのがあるんだよ。あとごめん、今日はオレと先約があるからさ、悪いけどここは見逃してよ」
 そうして女の子を宥めると、さっきまでわいわいしていた女の子たちは一気に黙り込んでしまった。わたしに出来なかったことを、あんなにあっさりと一瞬でやってしまうなんて……すごい。
「ごめん、しつこくしちゃって。帰ろ」
「ごめんね、榊。柊も。また明日~」
 あんなに核心に迫っていたと思っていた女の子たちは、きっと根はいい子なんだろう。先約の言葉に早々と諦めて帰ってしまっていた。
「悪いな……また明日」
「また明日ー」
 あっさりと騒ぎは終結し、人だかりは消えてその場所には男の子が二人になった。
 ありがとう、あの謎の男の子。そしてわたしは本当に見守るだけだったね……。
 本当に何も出来ないまま終わってしまい、もう一度溜息をついた。
 そりゃ、学年も性別も違うわたしが突然割り込んだら大惨事になりそうだし、これが正しかったんだ……そう言い聞かせるしかない。

「ほら、助けてやったんだから早く行きなよ。ずっと心配そうに見守ってくれてるのにかわいそうだよ」
「え?」
「ん?」
 謎の彼は既にわたしのことを見抜いていたようで、思わずわたしまで反応してしまった。
「せ、先輩!?」
 驚いたようにわたしを見つめた榊くんは、慌てて駆け寄ってぺこぺこと頭を下げる。
「す、すいません待たせてしまって! というかオレの方が早めに来てたと思ってたんですけど……それが仇になってしまって……」
「え、あ、いや、大丈夫だよ! というか、わたしも助けられなくてごめんね……」
「先輩が謝ることじゃないです!」
「うん、そうだね。全部榊の自業自得だね」
「……お前に言う言葉じゃないのは分かっていても、すげー腹立つこと言うな、柊」
 何だか榊くんの違った一面が見られたようで嬉しい。いつも見ないような表情で、いつもと違う口調で接している姿を見ていると、新鮮な気持ちでいっぱいになっていく。

 暫く二人の会話は続いていたものの、多分友達であろう男の子が強制的に切り上げ、わたしたちは学校を後にしていた。
 その直後に香澄先輩から、わたしの家の傍にある公園にいるとメールが届いた。
 公園というだけで土曜日のことを思い出して気まずい気持ちが復活したものの、榊くんは至って普通だったので、わたしも極力気にしない方向にする。
「さっきのは友達?」
 今後もどこかで接触する機会があるかもしれない……と勝手に思いながら、わたしはさっきの男の子について尋ねる。
 榊くんは一瞬眉をひそめたけれど、すぐにさっき助けられたことを思い出したんだろう。一つ息をついて、いつも目に映るはずの頬の赤色を失ったまま話をしてくれた。
「中学からの友達です。柊っていうんですけど、本当のオレを知っている数少ない人間です。だから時々、ああやって助けてくれたりするんです。どうしようもないオレを」
 どんな言葉で表現するのが適切なんだろう。
 そう思ってしまうような榊くんの微笑みが、強く心の中に焼き付けられていくのが分かる。
 ただ赤色に染まっているだけじゃない、いつもと違った優しい表情。
 それはきっと、もっと榊くんに踏み込むことができた者だけが見られる特別なものなんだろうと、何となく直感で思った。
「そっかー。何だかいいことを聞いちゃったな」
 知らなかった新事実を知ることができるのは、わたしとしては嬉しいことだ。
 素直な感想を述べると、榊くんの表情が歪んでいくのが分かる。
「そうですか? オレの情けなさが露呈されたみたいで、オレとしては知られたくなかったんですけど……」
 次の瞬間にはいつもの赤色が戻っていて、あの微笑みもすっかり消え去ってしまった。
 もう少し見ていたかった。……そう思うことは、変なことだろうか?




***

「久しぶり、元気だった?」
 わたしの家の傍にある寂れた公園に到着すると、数日振りの香澄先輩が予告どおりそこにいた。
「おかえりなさい、先輩」
 二人で駆け寄っておかえりを言い、暫くは香澄先輩の土産話を聞く会が開催される。
 ありがちな京都と奈良という修学旅行だったが、先輩はとてつもなく楽しかったらしく、次から次へと感想が飛び出していった。
 勿論独壇場というわけではなく、わたしたちのことも気遣うような話し方をしてくれたので、退屈せずに話を聞くことが出来た。
 特にわたしは来年行く予定があるので大変参考になる。
「あ、旅行中写メありがとうございました。オレも早く行きたいです!」
 聞いているだけで楽しそうな榊くんは、前にもらった写メの話を持ち出した。
「ああ、あれね。いろいろ撮ったり、撮ってもらったりでいろいろ集まっちゃったよー。一応デジカメでもいろいろ撮ったんだけどさ、今日忘れてきちゃって……」
「じゃあまた今度見せてください」
「いいよ。今度はちゃんと忘れないようにするよ」
 先輩が加わると、楽しい気持ちはどんどん増えていくばかりだ。
 勿論榊くんと二人というのも楽しくないわけではなかったのだけど、やっぱりわたしたちは三人揃った方がしっくりくる。
 気付いたら笑みがこぼれていて、この寂れた公園も楽しい場所のように思えていた。
「そうそう、メインのお土産なんだけど」
 話が一段落すると、先輩は傍にあったお土産の袋を手に取った。
 先輩に会えただけで満足していたので、お土産のことをすっかり忘れていたことに今更気付く。
「はい。まあ定番の八つ橋と、あとこれね」
 手渡された八つ橋を受け取り、もう一つ小さな袋を受け取る。
「何ですか? これ」
 榊くんが不思議そうに袋を手に取り、抱いた疑問を即座にぶつける。
「それはね、携帯のストラップだよ。ふらっと見かけたお土産屋さんで一目惚れしちゃってさ、色違いで二人の分買ってきたんだ」
 疑問はすぐに解決され、中身を取り出してみれば可愛らしいストラップが姿を現す。
 小さなウサギのストラップで、色違いというのは根付された紐の部分のことらしい。
 わたしはピンク、榊くんはオレンジ、先輩はブルーで、それほどきつくないパステル調の色合いだった。
「いいでしょ?」
 既に先輩は携帯につけており、それが携帯の色とよく合っている。
「二人の携帯の色を思い出しながら選んでみたんだけど、どうかな? まあつけるつけないは全然自由なんだけど」
「どうですか?」
 先輩が全ていい終わらないうちに、榊くんは素早く携帯につけていた。
 よく見えるようにストラップをつけた携帯を見せると、先輩が嬉しそうに笑う。
「よかったー。色のチョイス間違ってたらどうしようかと思ってた」
 ホッとしている隙にわたしも携帯のストラップをつける。
 既にお兄ちゃんからもらっていたストラップがあったが、はずすのは躊躇われたので一緒につけることにした。
 お兄ちゃんからは猫のストラップをもらっていたけれど、その猫と似たような系統だったので、ウサギと妙にマッチしているのが何だか嬉しい。
「立花さんもよさげだね、よかった。というかそれで大丈夫だった? 色とかじゃなくて」
 安心したのも束の間、次の心配はすぐ傍にあったようだ。
 先輩の心配はデザイン的な問題に移っていて、優しげな表情に不安が入り混じっているのがよく分かる。
「もし気に入らないものだったら、わざわざここでつけたりはしませんよ。つまり気に入ったってことです、ありがとうございます」
「わたしも可愛いし気に入りました。本当にありがとうございます」
 二人で同じことを思ったのかもしれない。
 自然とお礼と感想を述べたわたしと榊くんは思わず顔を見合わせて笑い、次の先輩を見て一緒に笑った。
「じゃあよかった」
 今度こそ安心したようで、次の心配が湧いてくる気配がない。

「そのウサギはね、幸せのウサギなんだって。ずっと優しく見守ってくれる、可愛いだけじゃないウサギなんだって、お店の人が教えてくれたんだ。だからここにいる三人が幸せになれるように、そう思って買ってきたんだよ」
 先輩の言葉が心の奥にじんわりと広がっていく。何とも先輩らしい理由で、わたしの喜びは頂点まで駆け上がっていくようだった。
 今日は榊くんからもプレゼントをもらってしまって、何だか二人にはもらってばっかりだな。
 いつも物だけじゃなくていろんな感情をくれる二人に何も出来ない自分が、ほんの少しもどかしくて溜息がこぼれそうになる。
 ……だけど、その反省は今だけは忘れたい。
 せっかくもらった幸せのウサギを前に、落ち込んでしまうのは何となく申し訳なかった。
 せめて、今くらいは……。

「ありがとうございます、大事にしますね」

 嬉しさのあまりもう一度お礼を言葉にする。
 三人お揃いのストラップは、三人が明確に繋がっていると教えてくれているようだった。

 こうして、予想もしなかった出会いを迎えた五月は終わりに近づいていく。
 長かったようで、だけどあっという間の生きていて一番大切な五月。
 そして、六月を迎えようとしていた。
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