図書室の住人

18.気になることだけが増えていく

『何で榊くんが本屋に?』という疑問は、本屋を出ていく際にあっさりと解決することになる。
「立花先輩が来るまで、何か本を探してみようって入ってみたんですよ。オレはまだまだ読書初心者なんで、とりあえずメジャーなやつで面白そうなのないかなーって。あとは香澄先輩に教えてもらった本のタイトルとかメモしてたんで、それも探したりとか」
 わたしが尋ねる前に、榊くんはわかりやすく説明をしてくれた。
 照れくさそうに見えて、実は楽しそうに話してくれたことが嬉しくて、話を聞いている自分までもが楽しくなってくる。
「そっかー。何か気になる本あった?」
「……いいえ。本を見つける前に先輩を見つけたので」
「あっ……何かごめんね。後でまた本屋行こう?」
「はい! 行きましょう!」
 会話は思っていたよりも弾み、自然と笑みが溢れるのも感じられた。榊くんは相変わらず顔が赤いけれど、楽しそう……少なくともつまらない感じではなさそうなので、心の中でホッと溜息をつく。

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 二人だけで過ごすというのは今に始まったことではない。かといって、数えることさえ忘れてしまうほどでもない。出会った頃よりも少しだけ距離が近くなった程度で、まだまだお互い知らないことは多いはずだ。
 そしてそんなわたしたちが初めて二人で休日を過ごす。わたしにとっては、身内以外と初めて過ごす休日だ。
 きっと普段と変わらない。変わらないだろうけど……わたしの心は、ずっとそわそわしっぱなしだった。

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 駅前にある大きな時計台に目をやると、まだ待ち合わせの十二時には到達していなかった。
 あと五分で到達はするのだけど、お互いどれだけ早くここに来ていたのかと思うと面白くて思わず笑ってしまう。
「榊くん、家何時に出た?」
「先輩は?」
「質問で返すのはずるい」
「じゃあ内緒です」
 笑いながら尋ねてみれば、この場面でははぐらかされてしまった。可愛らしくはにかみながら「内緒」と言われてしまえば、もう何も言えない。
 わたしも尋ねられたら答えられない気がするので、深く追求するのはやめておくことにする。
「ご飯食べながらどこへ行くか話しませんか?」
 切り替えが早い榊くんは、都合の悪い話題をあっさりと切り捨て、必要なことだけを引っ張り出してくれた。
 ご飯という単語を耳にした途端に、意識していなかった空腹はどんどんと主張していき、わたしの脳内では「おなかが空いた」と警告音が鳴り響く。
「そうだねー。ご飯行こっか」
 素直に提案に乗り、歩きだした榊くんの隣を並んで歩き始める。
 休日の駅前はやっぱり人が多くて、これではどこも混んでいそうだな。薄らとそんなことを考えながら、集中して並んでいる飲食店にあちらこちらと視線を向け、何を食べるか見定め始めた。
 財布の中身を思い出せば、お母さんがお小遣いを足してくれたとは言っても心もとない。本以外のものにあまりお金をかけたくないし、お兄ちゃんへのプレゼントのことを考えると更に絞られてしまう。
「ご飯どうします? プレゼント代とか本代とか、考えるとあまりご飯にお金をかけるのもって感じですよね」
 榊くんもなかなか香澄先輩のエスパーっぷりが伝染し始めているのかもしれない……。わたしの脳内を覗き見たかのような発言に驚きながらも、隣でうーんと悩む榊くんを盗み見た。
 やっぱり何度見ても眼鏡はなくて、別人のような存在感を醸し出している。悩んでいるところ申し訳ないのだけど、普段と違う様子を見せられてしまうと、どうしても……気になって仕方なくなるのだ。
「なっ……何、見てるんですか……」
「えっ」
 ぼんやりしすぎていたのか、盗み見ていたはずがじっと見つめる形となっていたらしい。気付けば榊くんとバッチリ目が合い、向こうの照れた表情が瞳いっぱいに映ることとなった。
「あはは……ごめんね」
 笑ってごまかしながら、慌てて視線を逸らした。今更緊張感が襲い掛かってきて、胸の奥がじわじわと苦しくなっていく。
 ……何だこれは。
 普段とは違うシチュエーションに翻弄されているのは分かるにしても、それがこんなにもドキドキするものだとは思いもしなかった。
「ほんと……とことん振り回してくれますね、先輩も」
 雑踏の中でぼそりと呟かれた言葉に、思わず逸らした視線を戻す。
 当てはまる言葉が思いつかないくらいに、複雑そうな表情を浮かべる榊くんを見つめながら、わたしもひとつ呟いた。
「……榊くんだって振り回してるくせに」
 呟いてから、何と酷い八つ当たりをしているんだろうと後悔する。はっとしたのは榊くんが驚いて反射的にわたしを見つめた時で、その反応の意外さにこっちが驚いた。
「オレ、振り回してました?」
 覚えがないと言いたげな風に言うものだから、一瞬だけ苛立ちが生まれる。
 ……これもまた、わたしが勝手に振り回されていると思っているのだから、彼に悪態づくのはよくないかもしれないけれど……。
「振り回してるよ、もう。今日の榊くんがいつもと違うからそわそわしちゃうとか、気付く予定じゃなかった恋愛感情のこととか……いろいろ」
 分かってはいるのに、言わずにはいられない。だけどここまで口にしてから、一つの疑問が頭を過ぎる。
「……というか、わたしも榊くんを振り回してたの?」
 人のことを言う前に自分のことをどうにかしろ。そんな心のささやきが聞こえ、そういえば何で自分は振り回しているんだろうと気付いた。
「え……っと……その、えっと……」
 一瞬生まれた苛立ちもすっかり消え去り、残ったのは疑問と好奇心だけになる。
 榊くんは気まずそうな顔で動揺し、その動揺の意味を知りたがるわたしは、俄然興味がそちらに向けられるのを実感していた。
 それにわたしに過ちがあるのなら、それを正したいという気持ちだってちゃんとある。とんでもないことで振り回していたら、土下座だってしないといけないだろう。
 沈黙はますます好奇心を煽り、視線はすっかり榊くんに釘付けとなっていた。


「梨乃、何やってるんだ」
 しかし、沈黙を破ったのは別の人物だった。
 突然すぎて、何が起こったのか一瞬分からなかった。
 街中でお昼場所を考えていたら全然違う会話で夢中になってしまって、そんな中で誰かに声をかけられて。地元なのだから知り合いがいてもおかしくないのだけど、それにしたってわたしなんかに街中で声をかける知り合いなんていない。
「お、お兄ちゃん……」
「母さんがそわそわしてるから何かと思えば……そういうことか」
 呆れと怒りが混じってすっかり不機嫌顔のお兄ちゃんは、何故かわたしたちの背後に降臨していた。
 いろんな感情に振り回されて気付きもしないし、雑踏が酷いこの街中なのだ。人の気配なんていくらでもあるし、そちらよりも榊くんが振り回されている理由の方に興味が向いていた。その油断が命取りだったとはいえ……お兄ちゃんが降臨するとは想定外すぎる。
「えっと……お前、梨乃の友達その二か?」
 じろりと睨まれる榊くんの怯えようは、前に遊びに来たときを思い出させるような雰囲気だった。今の榊くんはまさに、蛇に睨まれた蛙のよう。
「梨乃、ちょっとここで待ってろ。すぐ済むから」
 それだけを言い残し、お兄ちゃんは榊くんを引っ張って少し離れた場所に移動してしまう。
 お兄ちゃんは榊くんに何か恨みでもあるんだろうか……?
 そういえば、前も何と言われて突っかかられたのか気になっていたのに、結局教えてもらえなかったんだっけ。
 一人取り残されながら、わたしは二人の様子を遠くから見守るだけになる。
 ……わたしと関わることによって、お兄ちゃんにからまれることで、わたしは榊くんを振り回してしまっているんだろうか?
 さっきの会話が中断してしまったことがもどかしく感じるのは、本当のことが知りたい証拠だろう。
「……お兄ちゃんのバカ」
 一瞬空を仰ぐと、わたしは小さく溜息を零した。


 ほんの数分の出来事で、二人が話し終えると、わたしの元には榊くんだけが戻ってきた。お兄ちゃんは一瞬だけわたしの顔を見ると、すぐにその場から離れていく。
「あの……大丈夫だった?」
 わたしが言うべき言葉かは悩んだけれど、何と言っていいか分からないまま、身を案じる言葉をかける。
 目を大きく見開き、すぐに目を逸らして伏し目がちになった榊くんは、どこか悩んでいるように見えた。その様子が不安を煽り、気持ちはだんだんと不安定になっていく。
「……あまり遅くならないように、ちゃんと妹を送り届けろって……念押しされました」
 目を合わせないまま伝えられた言葉は、お兄ちゃんらしいと言えばそうなってしまう心配の言葉だった。
 それだけなら、どうしてわたしの目の前で言わなかったのだろう?
 不思議ばかりがぐるぐる巡り始めて、疑いは一層濃くなっていく。
「それだけ?」
「は……はい。先輩が心配するようなことは言われてないので安心してください」
 その割にはどこか気まずそうな表情をしている……のだけど、深く追求することで榊くんを困らせるのは何となく躊躇われる。
「じゃあ、いいけど」
 気になる気持ちは消えないまま、わたしたちはまた前を向いて歩き始めた。

「ご飯、ハンバーガーとかでいいですか? 安いですし」
「あ、うん。大丈夫」
 唐突に話が巻き戻され、知りたかったことは何一つ知ることができないまま……わたしは忘れかけた空腹を思い出す羽目になった。 

 ……一体、二人はどんな話をしていたんだろう。
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