図書室の住人

17.いつもと違う休日の始まり

「……朝だ」
 呟きと同時に身体を起こし、窓の外を眺める。
 外はどんよりとした雲が広がっていて、今にも雨が降りそうな天気に溜息をついた。
 それから目覚まし時計に目をやると、設定していた時間よりも随分早いことを知って驚愕する。普段起きるよりも早いのだから驚きだ。
 落ち着かないのか、寝坊してはまずいと自分の中で警告があったのか。理由なんて分かりようがないけれど、とりあえずは目覚ましを切ってベッドから出て行く。

 昨晩は大変だった。
 休日に身内以外の誰かと出かけたことがないことに気付いたわたしは、どんな装いで行けばいいのか、何か気をつけることはあるのか等……いろいろと悩まされることになったからだ。
 お兄ちゃんへのプレゼントをある程度考え終え、さあ寝ようと思った矢先のことだったので、焦りは余計に募るばかり。
 ……別に普通でいいと思う。いつも放課後を一緒に過ごしている時と同じように難しいことは考えず、気楽に。
 分かっていたはずなのに、一度気にしてしまえばその普通が見えなくなってしまう。
 翌日を迎えた今でも、その気持ちは消えない。
「……大丈夫かな……」
 着ていく予定の服を眺めながら、溜息を一つ。一応、余所行きの中でも気に入ったものを選んだつもりだ。やる気のなさ気な家着とか、気合が入りすぎたゴージャスなドレスとか、そんな極端なものは選んでいない。
 あとはもうその時の状況に身を任せるしかないのだ。


 気持ちを落ち着けようと買い溜めておいた本を手にとってみると、それが意外とのめりこめて気晴らしになった。
 推理ものは結末が気になってついつい読み耽ってしまうから困る。一冊読み終えた頃にはそろそろ準備してもいい時間になっていて、準備しておいた服に着替えて外に飛び出した。
 お兄ちゃんに見つかると厄介なので、お母さんに一言いってきますと告げるのみであとは適当に済ませてしまう。
 外は肌寒く、上着を羽織ってきて正解だったと安堵した。
 出かけるには多少荷物になりそうだと思われる折り畳み傘も、これから役に立つだろうと思うと手放すのはなんとなく惜しい。
 ……天気予報は、雨は降るかもしれないと曖昧なことを言っていたから、もしかしたら邪魔にしかならないかもしれないけれど。なくて困るよりマシだと自分に言い聞かせた。
 駅までの道のりは歩いて十五分ほどになる。待ち合わせの十二時には大分早い時間になってしまうけれど、駅の傍にある本屋で新刊を見に行く予定ということもあっての早い時間の行動だ。
 駅まで辿り着き、時計を見れば十一時を少し過ぎたところ。さすがに榊くんらしき人物は見当たらず、ホッとしながら隣に建てられている本屋へと迷いなく入っていく。

 土曜日ということもあって人の出入りがいつもより多く感じるけれど、中はいつも通り静寂に包まれていて、音を立てるのも何だか後ろめたい。
 だけど本屋の静寂は好きで、心地よさを身体全体で感じながら、とりあえずは文庫の新刊をチェックすべく、文庫コーナーがある二階へと階段を上がっていく。
 この本屋は新作と人気作は強いものの、マイナー系統の作品はなかなか置いていない。そのおかげで、新刊をこまめにチェックしなければ幅広い作品と巡り会えなかった。
 最近はそのチェックを怠っていて、丁度いいや、とここにやって来たのだった。
「うわぁ……今月も多い……」
 目的の新刊コーナーを見てみると、読書欲がそそられるような本が大草原のように広がっている。最近メディアでよく聞く名前の本や賞を取ったと話題になっている本、好きな作者さんの本や、聞いたことはないけれどタイトルやあらすじで興味を持った本……。
 眺めれば眺めるほどに欲しい本だらけのような気がして、財布の中身を確認しながら買える冊数を脳内で軽く計算し始めた。
「……二冊くらいしか買えないかぁ……」
 元々お小遣いもそこまであるわけではなく、貯めたお金もお兄ちゃんの誕生日プレゼントで消えていく。
 こうして取捨選択を強いられることもいつも通りで、多分また好きな作者さんの本とマイナーな本で収まってしまうんだろうな……なんて考えた。
 上から三番目の本を取り、二冊を抱えて満足げに微笑む。

「あれ……立花先輩?」
 レジへと向かおうと振り向こうとした瞬間、わたしは背後から声をかけられた。その呼び方でわたしを呼ぶのは一人しかいないので、安心して振り返ることが出来る。だけどまさかここにいるとは予想外だったので、内心驚きでいっぱいになっていた。
「榊くん、こんにち……は?」
 振り返って挨拶をする。それだけのことが、今のわたしにはまともにできなかった。
 そこにいるのは勿論榊くんだ。榊くん……なのだけど、いつもと違うせいで驚きは隠し切れずに表に出てしまったのだ。
 ぽかんと彼の珍しい姿をまじまじと見つめながら、何と声をかけるかで悩み始める。
「先輩?」
「あっ! いや、その……ごめんなさい。いつもと雰囲気違うから驚いちゃって……」
 不思議そうに首を傾げながら声をかけられて、驚いた勢いで謝罪と素直な気持ちをそのまま伝えた。

 そう。榊くんのトレードマークの一つである、眼鏡をかけていなかったからだ。
 しかも見慣れない私服姿がオシャレで、もしも声をかけてもらえなかったら分からなかったかもしれないくらいに変貌を遂げていた。
「え、あ、そりゃ驚きますよね……。元々眼鏡はダテなので、休みの日は気分を変えてはずしてたこともあって……今日はちゃんとかけようと思ってたのに、忘れてしまって……」
 いつものように頬を赤く染めるところは、いつもの榊くんを連想させるようで、わたしをホッと安心させる。
 どんなに雰囲気が変わっても、榊くんは榊くんなんだ。
 一瞬ドキッとしたのだけど、それはカッコいい人間が目の前にいるのだからしょうがないこと。
「ううん、大丈夫だよ。初めて眼鏡かけてないところ見たけど、眼鏡がなくてもカッコいいね」
 へらっと笑いながら、これまた思ったことをそのまま口にしてみた。それは何気ない一言で、素直な感想でしかない。
「なっ……!」
 だけど榊くんの様子は少し前に比べて酷く動揺した様子で、顔の赤色も色濃くなっていた。口をパクパクさせるのに、一向に言葉は聞こえてこない。
「え、あ、あの……何か気に障ること言っちゃった?」
 もしかしたら不快にさせることを言ってしまったのかもしれない。
 あまりにも反応がおかしくて不安になってきたわたしは、恐る恐る不安を確かめようと榊くんに尋ねた。それでもやっぱり口をパクパクさせたままで、わたしも言葉を失っていく気がしてくる。

「…………そういうの、マジ勘弁してくださいよ…………」

 本屋だからと気を遣ったのか、恥ずかしいから思わず声が小さくなってしまったのか。理由は分からないけれど、榊くんは小さく意味深なことを呟いた。それから必死で落ち着かせようと呼吸を整えるために何度か深呼吸をし、最後に大きく溜息で締める。
「……本、買って行くんですか?」
 何かを諦めたように、榊くんはわたしの手元を見ながら尋ねた。尋ねられてからようやくレジへ向かうことを思い出し、わたしは大きく頷いてレジへと向かった。
 その間もさっきの榊くんの呟きが気がかりで、何度も意味を考えるのに上手く思考が働かない。
 おかげで会計も手間取り、小銭までぶちまけて散々な気持ちでいっぱいになる。

 ああ、そういえば何で榊くんが本屋に?
 そう尋ねようとしていたことを忘れていたことに今更気付いたけれど、タイミングを失ったわたしは尋ねることができないまま、これから一緒に出かけるという未知なる時間に対して不安を抱き始めていた。
 どうか、彼を傷つけることだけはしませんように……。
 それだけは何とか阻止したいと、こっそり心の底から願った。
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