図書室の住人

14:ワタシハ誰ニ恋シテル?

「立花さん?」
 わたしの思考が戻ってきたのは、二人が一頻り騒ぎ終えた後のことだった。香澄先輩が心配そうに声をかけてくれて、榊くんもその隣で心配そうにしている。
「えっ」
 思っていたよりも距離が縮まっていたことに驚き、びくついて何歩か後退りをした。さっきまで少し離れた場所にいたつもりが、今では目の前に二人が立っている。
「何度か声かけたんだけど、反応がなかったから大丈夫かと思って」
「大丈夫……ですか?」
 そんなに呼ばれていて、一度も反応できなかったのかと思うと居たたまれないし、恥ずかしい。
「ご、ごめんなさい! ちょっと考え事しちゃってて……」
 さっきまで考えていたことをそのまま口にすることはさすがにできず、わたしは無理やり笑みを浮かべながら、脳内で反省会が始まっていた。
 せっかく自分で招待したというのに、わたし自身が腑抜けてどうする。
「あ! 本ですよ本! 二人とも何か読みます?」
「オレ、立花先輩のお勧め教えてほしいです」
「うんうん! 任せて!」
 半ば無理やり話題転換し、大好きな本のことで頭をいっぱいにしようと適当に本棚から本を引っ張り出す。
 榊くんはやっぱりどこか心配そうなままだったものの、気を遣っているのか、あまりにも強行突破過ぎるわたしの話題に乗ってくれていた。
「そういえば俺も、さっき榊くんに読んでもらえたらなって本見つけたよ」
 ニッコリと笑顔を浮かべながら本棚を眺め始めた香澄先輩も、きっとわたしを助けてくれているに違いない。
「どんな本ですか? 探しますよ」
「うん、えっとね……」
 ……何だか、わたしは助けられてばかりだ。自分は何も返せないのに、二人は優しくていつだって手を差し伸べてくれる。その事実に申し訳ないと 自分自身に苛立ちが込み上げた。


 わたしの思い込みや考え方は浅はかだった。
 あまりにも単純すぎて変な笑いが出てしまいそうなくらいには、自分は周りに影響をされすぎて、バカみたいに浮かれていた。
 ――世界はわたしに優しすぎる。
 優しすぎるからこそ、そんな世界に甘えた自分は、今ここで後悔するんだ。
 榊くんに香澄先輩が好きかと問われた時、先輩に偏っていたとはいえ、榊くんだってきっと同じくらいに好きだったんじゃないかと思う。ただ、直球で好きかと問われてしまえば、「そうかもしれない」とその言葉がわたしに香澄先輩が好きなんだと洗脳をかけ、おめでたい思い込みをしてしまった。
 それがもしも逆だったら……香澄先輩の方が早く「榊くんが好きなの?」って問いかけていたなら……わたしは多分、同じように洗脳されて榊くんを好きになったと思い込んだんだろう。

 単純な話だ。
 榊くんが先に声をかけたから、わたしは香澄先輩に恋をしていると勘違いをした。
 実際、二人から見れば榊くんはわたしが香澄先輩が好きだと思い込み、香澄先輩はわたしが榊くんが好きだと思い込んでいる。決定的なキッカケや出来事がなければ、もしかして自分のことが好きなんじゃないか、なんて問いかけられるわけがない。
 どちらにも好きなんじゃないかと思われるということはつまり……どちらも同じくらい好きなんだということじゃないのか。

 何て贅沢で、何てズルくて、何て最低な話なんだろう。
 一人で勝手に思い込んで舞い上がって、どうしようと騒いで悩んで周りを巻き込んで。
 二人の男の子を独り占めした挙句に、二人とも好きで。
 ……でもきっとその気持ちは、恋とかそういうものじゃない……はずで。
 本当に……バカみたいだ。
 わたしが恋をしていたのは、結局誰かに恋をして浮かれているわたし自身だったんじゃないか。

***

 三人それぞれが一冊ずつ手に取り、わたしたちは本を読んでいた。
 本を読んでいる間は一人の世界に入るので、こういう時は読まずに他にできることを探すべきだとは思ったけれど……ちょっとだけ読みたいという先輩と榊くんのお願いと、わたし自身も考え事をある程度整理したいという気持ちもあって読書となった。
 二人は楽しそうに本を読んでいて、その様子を見ているだけで何だかおなかいっぱいになれるような気がする。
 ちなみに先輩はやけに古い表紙の歴史系の本を読んでおり、榊くんは先輩が読んでほしいという青春系の文庫を読んでいた。わたしは最初から考え事をする気満々で、以前読んだことのあるファンタジー系の本を手に取っている。
 とりあえず三十分だけ本に没頭して、その後はまったりしようということになっており、それまでは自由時間だ。こんな時間がないと、また二人に心配をかけてしまう。だから、こうして今の間に考え事をしているというのに……ただただネガティブな方向へと向かっていくだけだった。
 でも、結局結論は出てしまったわけだ。
 あまり嬉しい結論ではなく、穴に埋もれて引きこもりたいくらいには恥ずかしくて腹が立つものだ。
 ……二人にどんな顔をしていいかさえ、分からずに悶えてしまいそうでしょうがない。
 二人にはあれこれ相談に乗ってもらった。挙句の果てに、お兄ちゃんにまで相談してしまった(そのせいで榊くんにも迷惑をかけてしまった)。応援してくれるという先輩も榊くんも、二人の気持ちを踏みにじってしまいそうな結果になってしまった……。
 それはとても居たたまれないことで、また全部振りだしに戻ってしまう。

 まあ、友達ができたばかりのわたしにはまだ早かっただけなんだ。
 異性の友達だから余計に勘違いしてしまっただけなんだ。そうだ。

 時計に目をやれば三十分というのはあっという間で、わたしはゆるゆると立ち上がって本を本棚に戻した。
「ちょっと飲み物取ってきますね。二人は読んでてください」
 本を読んでいる人間に声をかけるのは躊躇いがちになるものの、そういえば招待しておいて何のおもてなしもしていないことに気付き、本を戻したついでに何か取りに行こうと考えていた。
「大丈夫? 手伝おうか?」
 先に反応したのは先輩の方で、気付けば本を閉じて立ち上がろうとしているところだった。
「いえいえ! そんな手間じゃないので大丈夫です。もう少し読んでてください」
 気を遣わせるつもりなんて毛頭もなく、むしろこっちは最大限のおもてなしと今までのことに関しての謝罪をしたいくらいだ。これくらい当然である。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
 黙って様子を見守っていた榊くんも混じって二人分のお礼がわたしに届き、引きつるような笑みを浮かべながら部屋を後にした。
 わたしには……お礼を言われる筋合いなんてないのに。

 一階へ降りてキッチンへ向かうと、そこには既に三人分の麦茶といちごのショートケーキが用意されていた。そしてその傍には、困った顔をしたお母さんと不機嫌なままのお兄ちゃんが睨めっこをしている状態だった。
「あらあら梨乃ちゃん。今ね、飲み物とケーキ持って行こうと思っていたところなのよ。そしたらね、理斗くんが持っていかなくていいって通してくれないの」
「いいんだよ、あんなヤツら。庭の雑草食っときゃなんとかなるだろ。なので、そのケーキはオレが食べます」
「独り占めはよくないわよ、理斗くん。それにそんなにケーキを食べると太るし」
「オレ食べても太らない体質だし」
「独り占めはケーキだけじゃないのよ?」
 相当二人のことが気に入らないらしく、ここまで不機嫌なお兄ちゃんを見るのは初めてだった。それはお母さんも同意見だったらしく、困った様子でわたしの方へ助けを求める視線を向けている。むっとしているお兄ちゃんはやっぱりお母さんには弱いらしくて、次の標的をわたしに変えて勢いでぎゅっとわたしの腕を掴んだ。
「お、お兄ちゃん」
「ちょっと来い」
 もっと抵抗すればよかったと思ったが、お兄ちゃんの気迫はものすごい威力を放っていて、わたしには流れに身を任せる以外の選択肢しか残されていなかった。

「はあ。母さんに反抗するのはまだ抵抗あるわ……どっと疲れた」
 引きずられるように連れて来られた場所は、キッチンから出てすぐの玄関先だった。お兄ちゃんは溜息交じりで愚痴を零しながら、思い出したようにもう一度不機嫌な表情を浮かべる。
「で、お前はどっちなの?」
 その質問の意味を、わたしはきっちり理解していた。
 視線が絡まってはずれなくなって、気まずいのにお兄ちゃんから視線をはずすことはできない。絡まった視線をほどくことを早々に諦め、次に質問の回答について考えることにした。
 どっちとは。
 明らかにこれは、自分が蒔いた種に苦しめられているということで、つまりこの状況を生み出した原因は自分自身であり、自分で自分の首を絞めているという……。
「どっちも……違う……違う、よ」
 これもまた、誤解を招きそうな回答だったが、今のわたしにはこれしか言うことはない。さっきもこの件について考え事をしていたけれど、辿り着いた結論はただの勘違いに過ぎないということ。この回答もあながち間違いではないということだ。
「は? 何で?」
 勿論、お兄ちゃんは気の抜けたような表情を浮かべて驚き、反射的に次の質問を投げかける。その問いは予想通りだったものの、問いに対する回答は思いつかなかった。
 単純に、恥ずかしくて死にたくなるような話をしたくないだけなんだけれど……。
「それは……」
 お兄ちゃんの目を見ると、拒否することは何となく躊躇われた。わたし自身に躊躇う理由がなければ、既にこの場から逃げていたことだろう。
 だけど、お兄ちゃんには借りがある。
 一人で勝手に突っ走って浮かれて悩んで相談した相手は、紛れもなくお兄ちゃんだ。相談されたからこそ、ここまで食いつくのも無理はない。結末や進展は知りたいものだろう。

「わたしは、誰かに恋してる……自分に酔ってただけみたい」
 へらっと笑いかけて、力なく素直に答えた。実際に声に出してみると、虚しさや残念な気持ちがじわじわと溢れていくのが分かる。
 どちらか一つでも、恋だったらよかった。
 でも、それももう叶わない。
「最初は片方が好きだと思ってた。でも、もう片方にも同じような感情を抱いてることに気付いて、ただ、恋してる自分カッコいいみたいな……そんな気がして、何か……イライラして、それで」
 ぽつりぽつりと考える間もなく言葉は飛び出した。さすがに涙は出なかったけれど、声は明らかに震えているように感じる。
 もしもこんな感情に気付かなかったなら、わたしはどうなっていたんだろう。
 おめでたい頭で先輩に恋してたんだろうか。そもそも、恋とさえ認識しないまま、ただただ幸せバカとして生きていたんだろうか。
 気付けば顔は俯き、視線は足元に移動していて、気持ちもどんどん下降していく。
「そうか」
 どうしようもないわたしの言葉に、お兄ちゃんはそれだけを口にした。それから、わざわざ屈んで下からわたしの顔を覗き込む。いつだったか……榊くんがしたのと同じような状態だった(あの時よりは距離が若干離れているが)。
「まあ誰しも失敗はある。本当に梨乃の勘違いなのかもしれないし、本当はそうやってごまかして本心を隠しているのかもしれない」
 さっきまで不機嫌だったのが嘘のように、お兄ちゃんは優しく語りかけてくれる。安心させるような優しい声色で、落ち込むわたしを励ましてくれていた。
「いいんじゃないか? そうやっていろんな感情に振り回されるのも。醜かろうがカッコ悪かろうが、別にどうでもいいじゃねーか。どうせ嫌でもいつか気付く。本当にどうしようもなくなるから」
 大きな手のひらでわたしの頭を優しく撫でながら、お兄ちゃんはふわりと笑いかけた。外では無愛想と有名らしいが、こんな笑顔を見てしまうとにわかに信じ難いと思う。そして、小さい頃から行われてきたこの安心させる行為は、今でも変わりないんだと安堵する。
 優しく励ましてくれて、優しく撫でてくれて、ふわりと笑いかけてくれる。
 この三つは欠けることなく揃い、三つ揃うことでわたしは安心するのだ。
「とりあえず焦らずゆっくり頑張れ。……まあオレとしては、お前が誰かに取られちまうのは癪だけどな」
 それだけを言うと、お兄ちゃんとわたしの視線は解けた。近かった距離も簡単に離れ、玄関先にはわたし一人が取り残される。そこでようやく、苛立ちが消えていることに気付いて、簡単に安心してしまった自分がおかしくて自嘲気味に笑った。
「……難しいなぁ」
 学校で教えてくれないことを自分の手中に収めるには、どうやら一筋縄じゃいかないらしい。
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