図書室の住人

12:お二人様を招待した結果

 昨日の晩はろくに眠ることが出来なかった。その前の晩は、読書で夜更かしをしていたから眠れるものだと思っていたけれど、昨日はドキドキして眠れなかった。
 おかげで、部屋の片付けと溜まっていた本を一冊読み終え、気付いたら気を失って目覚めたら朝。眠った感覚はなく、頭もぼんやりしたままだ。
 時計は、いつも起きるよりも早い六時過ぎ。今から二度寝してもよさそうだけれど、何となく寝坊してしまいそうでそれは躊躇われた。
 部屋のベッドから抜け出し、早いけど準備を済ませることにする。パジャマを脱いだらそれもきちんとしまいこまなきゃいけない。
 お母さんには自分で部屋をちゃんと綺麗にすると伝えておいた。
 何となく自分でやっておきたいという気持ちからの言葉で、お母さんもそれを承諾している。わたしが家に呼ぶのだから、自分の部屋くらい自分で綺麗にしておきたい。
 元々部屋には本のみが溢れていて、本以外で散らかすものがなかったのは幸いだった。今は、本棚とクローゼットで何とか本は収まっている。苦労するほど部屋を片付けることもなかったので、この点に関しては問題ない。
「やることはやった……はず」
 制服に着替え、パジャマをしまいこんだわたしは小さく呟く。
 あと願うのは……どうかどうか、お兄ちゃんと鉢合わせませんように……ただそれだけだった。


「おはよー」
 いつもよりも十分くらい早い時間にリビングへやって来たわたしは、少しずつ襲い掛かる睡魔と格闘していた。
「あら、おはよう梨乃ちゃん。今日は早いわねぇ」
「うん、早く目が覚めちゃって」
 ニコニコ顔のお母さんがわたしの朝御飯を用意しながら、他愛もない話を交わしていく。
「梨乃、今日は十分くらい早いな」
 定位置には既にお兄ちゃんもそこにいて、今日はまだご飯を食べている途中のようだった。
「お、おはよう……」
 何で時間をきっちり把握しているのか……。そこのところを問い質したいところだが、怖いのであえて聞かないことにしたい。
 自分の定位置であるお兄ちゃんの隣の席に座ったわたしは、何となくそわそわしてお兄ちゃんへちらちら視線を向けてしまう。
 今日もちゃんと仕事遅いのかな? もしも早く帰ってきてしまったらどうしよう……。
 そんなことを考えてしまえばその通りになってしまいそうで、できれば考えたくないと思う。……思うのに、わたしの脳内ではそのことばかりがぐるぐると渦巻いているようだった。
「何だ? 人のことをちらちらと」
「へっ!?」
 基本的にわたしのことに関してはお見通しなので、今も頭の中を全部覗かれているようでちょっと怖い。
 思わず変な声が出てしまったわたしは、明らかに不審人物と化していた。
「き、昨日は仕事、大分忙しかったんだねぇ……」
 明らかに不自然な話題が口から飛び出し、自分で自分を呪いたくなる。
 不審さは一気に上昇していき、お兄ちゃんの視線も痛々しく刺さり続けていく。
「……昨日は大変だった。今日くらいまでそれが続くと言われてるから、憂鬱でしょうがない。朝も早いのは苦手なのに、参ったぜほんと……」
 欠伸を一つ零しながら、わたしの不自然な質問にわざわざ丁寧な返事をしてくれた。お兄ちゃんは基本的にわたしには優しくて、困らせるようなことはあまり仕出かさない(と思う)。
 今みたいにわたしが不自然な状態であったとしても、余程おかしくなければ知らない振りをしてくれる。
 問題は、明らかに別の場所にあるのだった。
「ほんと!? 今日も遅いの?」
 ……わたしだ。
 自分自身が何も問題を起こさなければ、それで全部片付くはずだった。
 お兄ちゃんだって怪しむことはないし、普通にしていれば何も起こらない。
 だけど不審な目を向けられるのは、明らかにわたしが不自然なせい。
「……やけに嬉しそうだな?」
 今だって、つい喜ぶような反応をしてしまい、お兄ちゃんが抱く不審感は強固になっていた。ここで喜ばせるような発言をしたなら、機嫌は損ねなかっただろう。
 でも、今の反応は……明らかにまずい。
「はい、梨乃ちゃん。朝御飯はホットケーキを焼いてみたの~。冷めないうちに食べてね」
 にっこり笑顔のお母さんが、気まずい雰囲気を壊し、わたしは一つ安堵の息をついた。
「ありがとうお母さん。いただきます」
 お母さんが傍にいるだけで、険悪なムードは和らいでしまう。
 何だろう……怒っていることがあったりしても、ほんわか雰囲気に飲み込まれれば、怒っていたこともバカらしく思えてしまうのだ。気まずくても、どこか諦めムードに入ってしまう。
「……ま、いっか」
 それはわたしだけではなかったようで、お兄ちゃんはぽつりと諦めたような言葉を呟いた。
 お母さん、本当にありがとう。
 心の中で土下座して感謝しつつ、かちゃかちゃとホットケーキを切り分けて、口に放り込んだ。

 とにもかくにも、今日は家に二人がやってくる。友達を呼ぶのは初めてで、それはそれは緊張するものだと今ドキドキで死にそうなわたしは痛感する。
 さっさと放課後が来て、二人が来て、本を読んだりして、二人が帰ってホッとして。
 早くそこまで来ないだろうか?
 ドキドキに押しつぶされそうなわたしは、思わずそんなことを考えてしまう。
 だけど、そんな日に限って時の流れというものは遅く感じるものだ。ちまちまと進む時計の針を恨みながら、何度も何度も放課後をシミュレーションする。
 上手くいくだろうか。へまをしないだろうか。
 ダメだった時のことを脳内で妄想すればするほど、それが本当になってしまいそうで怖かった。
 休み時間は、何とか安定剤である本を眺めて落ち着かせようと試みるのに、今のわたしにはそれさえも効果がなくて、大きく溜息をついた。


 そんなこんなで、放課後になった頃にはぐったりしてしまっていた。途中で考えることも諦め、無心で授業を受けていたことを思い出す。
 友達を家に呼ぶことが、こんなにも緊張することだなんて……。
 時々家に友達を呼んでいたお兄ちゃんを、そんなことで尊敬すべきじゃないとは分かっていても尊敬してしまう。
 だけど、お兄ちゃんの友達は当然だけど同性だ。わたしとはまた状況が違うかと思うと……またしてもドキドキと胸が高鳴ってしまう。
 今日は靴箱に集合と昨日話していたことを思い出しながら、急ぎ足で階段を駆け下りる。
 もう来ているだろうか?
 相変わらずわたしのクラスは終わりが早くて、今日も人が少ないうちから教室を飛び出していく人間は多い。
 一階へ降りると、三年生はまだホームルームをやっているみたいで、今日もまた先輩は一番最後かな……なんて考える。
「立花先輩!」
 渡り廊下を通ろうというところで、背後から声をかけられた。
 この呼ばれ方は一人にしかされないことを知っているので、振りかえることもなく隣に並んで歩く彼を横目でちらりと盗み見る。
「今日は早いね」
 ほんの少し息が荒いように感じるのは、またしても急いでやって来た証拠なのだろうか?
 まだ待ち合わせの場所でもなければ、今回も先輩は遅くなるかもしれない……というのに。
「……先輩を待たせたく……なかったので」
 相変わらずと言えば、榊くんの赤色の頬。
 ちらりと見ただけでも分かるほど真赤に染まっている頬が、妙に焼きついて離れない。
「ありがとう」
 見つめすぎないようにと、気を紛らわせるようにお礼の言葉を述べる。……何だか釣られて顔を赤くしてしまいそうで、ほんの少しびくびくしていたせいだ。
 だけど、焼け石に水……という表現が合っているのか違うのか。もう一度様子を伺ってみれば、榊くんの赤が色濃くなっているのが見えて、逆効果になってしまったのが分かった。
 わたしは何か彼にしてしまったんだろうか?
 思い出そうにも心当たりはなく……いや、わたしの挙動不審な行動が原因だとしたら……すっぽり当てはまってしまうだろう。
「先輩の家行くの……楽しみです」
 ぽつりと呟くように話しかけてくれた言葉に、何だかむずがゆい感覚に襲われる。ちょっぴり恥ずかしいけれど、嬉しくて照れる。昨日は無理に誘ったんじゃないかと後悔しかけていたからこそ、そう言ってもらえるのはありがたい。
「本しかないけどね。でも丁度いいから、気に入ったのあったら読んでみてほしいな」
「はい。よかったら貸してもらえると嬉しいなって、思ってました」
「うん! 結局何も貸したりできなかったから……よかった」
「オレ、ちょっと推理物とか読んでみたいんですよね。何かあります?」
「あ! 丁度昨日探偵もの読み終わったばっかりなんだよね。人気のシリーズ物なんだけど、読みやすくて面白くってさ……」
 本の話になると、途端に口が達者になるわたしは極端すぎる。ぐちゃぐちゃだった頭の中も、気にしていたことも、一時的に空っぽになって好きなことでいっぱいになる。
 おめでたい脳を持っているようで、心の奥底で笑い飛ばした。

「おーい! 二人ともー!」
 わたしの口が暴走する寸前で、背後からもう一つの声が聞こえてくる。
 もう少し遅くなると予想していたはずの声の主は、駆け寄ってわたしの横に並び、にっこり笑顔を浮かべながら自然に混ざりこんだ。
「今日は早いんですね」
「うん。それでも二人よりは出遅れちゃったけどね……。先生も会議があるからって急ぎ目だったんだ。うちのクラスは基本話が長くて遅いから、困ったもんだよ」
「前に待ち合わせた時もそうでしたもんねー」
「そうそう。特に用事ある日とか特に長くて……」
 先輩はすごい。
 わたしには時間がかかる会話も、すんなりと溶け込んで盛り上げていく。靴箱までが遠く感じていたはずなのに、あっという間に辿り着いて、三人が揃う。靴を履くために一度バラバラになり、履き替えると、また並んで歩き出す。
 それがあまりにも自然になっていて、たったそれだけが、わたしにとって嬉しいことのように思えた。



 目的地であるわたしの家は、この間先輩の家に遊びに行った途中にある。公園の傍に建っている一軒家ということもあって、場所の説明はしやすい上に分かりやすい。学校からは少々遠く感じるものの、先輩の家よりは近くに感じるはずだ。しかも、歩いている間は本の話で盛り上がったこともあり、あっという間に家の前へと辿り着く。
「立花さんの家っていつ見かけても立派だよね」
「先輩の家の方が立派ですけど……」
「オレからすれば、二人とも立派ですけど……」
 三人で家の前に立ち、いつも見ているはずの家がいつもと違って見えて、おかしな感覚に陥る。二人が抱く新鮮さが移ったのだろうか?
「立ち話でもなんですし、とりあえず入りましょう」
 ふわりと笑顔を浮かべながら、先導して家の扉の前へと進んでいく。
 二人がついてくるのを確認しつつ、ドアノブに手をかけた。

「梨乃」

 ……手をかけたのに、その手はドアを開くことはなかった。
 ここで聞くはずのない声が耳に入って、わたしの動きが停止してしまったせい。二人がわたしの名前を呼び捨てにするわけないし、何より声質が違う。二人よりもずっと聞き続けてきた声を、わたしが聞き間違うことなんてなかった。
 振り返るのも怖いが、このまま無視しても二人が困るだけだ。ドアノブから手を離し、ゆっくりと二人がいる後方を振り返る。
 既に二人は驚いたように突然やってきた人物に視線を向けていて、わたしは頭を抱えたくなった。
「お、お兄ちゃん……?」
「誰だ? コイツら」
 明らかに不機嫌なお兄ちゃんを見て、今月何度目かの、世界の終わりが見えた。
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