俺は何も悪くない!

「今度、長谷部さんの家に行ってもいいですか?」
 それはあまりにも唐突過ぎるお願いであった。
「えっ!? 何で?」
 いつもならもう少し余裕を持てたはずなのだが、今の俺は完全に冷静さを失っている。
 ルーシーが積極的に家に行きたいなんて言い出すのは初めてで、それを心の準備もなく受け止めてしまったせいだ。
 その俺の冷静さを奪ったルーシーはと言うと、真赤な顔をしてわたわたしている。
 冷静さを奪ったくせに、何でお前も冷静じゃないんだ。
 思わずツッコミを入れたくなるが、今のルーシーがとてつもなく可愛いので黙っておく。
「あの、ですね…………お、お礼です」
 落ち着きのない様子でルーシーが口にした言葉は、イマイチ俺にはピンと来ない。
「お礼?」
 これまた唐突な発言に俺は思いっきり首を傾げた。
 確かに過去にもいろいろ助けたりしてポイントは稼いだものの、今の俺にはポイントなんて残っていないはずだ。
 何か企んでいるのか? 千早ちゃんに何か言われたとか……?
 だけどそれなら俺の家に行くなんて絶対にありえない。
 もっと肩の力を抜いて聞きたい話なのに、どうしても怪しくて疑う気持ちが強まってしまった。……素直に喜べばいいものを。
「私、最近料理の勉強してるんです。今までよりもっと凝ったものを作りたいって……そう、思いまして」
 照れながらルーシーがそう言い、思わず口元に手を当ててしまった。
「あの読書中毒のルーシーが……食に気を遣っている……!」
「し、失礼ですよ! 私だって料理くらい……たまには…………します」
 語尾が小さくなっていき、目線がさり気なく逸らされるのを見逃さなかった俺は、それが自信のなさを現しているのだと見抜く。でもそれをあえて口にするとまた話が脱線してしまいそうだったので、気付かれないようにくすりと笑って話の続きを聞くために黙り込んだ。
 静かになったのを確認すると、ルーシーの言葉は更に続いていく。
「それで、最近ちゃんと作れるようになった……と思うので、もしよければ長谷部さんをご馳走したいなって……。い、いつも奢ってくれたり美味しいお店に連れて行ってくれたりしてるので! そのお礼! です! 長谷部さん外食多いみたいですし……」
 ああ、今すぐにでも目の前の女の子を抱きしめたい。
 そして家に連れ帰って存分に愛でたい。
 犯罪すれすれの妄想を繰り広げながら、ルーシーの言葉に一人感動する。
「ルーシー……そんなに俺のことを想ってくれるなんて……俺、人生で一番今が幸せだよ……」
「なっ……! べ、別に……毒見……そう! 毒見ですよ! いわば長谷部さんは実験体です! しかも実際美味しいかどうかも分かりませんし……その……」
 大袈裟なリアクションを取る俺と、いちいち反応して可愛い態度を取るルーシー。
 そのやり取りだけでも幸せで、これが実際に嘘だったとしても悔いはないな……なんて俺はぼんやり考えていた。
「たとえ美味しくなくても、ルーシーが俺のために作ってくれるものなら何でも食べるよ」
 ぼんやりしているせいで、恥ずかしい台詞もすらすらと飛び出していく。
「う、うぅ……」
 ああ、もうどんなルーシーでも可愛い。
 結論に辿り着いた俺は結局抱きしめようと手を伸ばし、そして最終的に殴られてこの場は収まった。



 そして次の休日、ルーシーは予告通り俺の家へとやってきた。
 恋人の家に来るかのごとく、スーパーの袋を引っさげて。
「お、お邪魔します」
 緊張した様子で硬くなっているルーシーは、挙動不審で我が家に入ってきた。
 よく考えればルーシー一人でここに来るのは初めてじゃないか?
 もしかしたら俺は止めなければいけなかったのかもしれないと思うと、ちょっとだけ胸が痛む。
 別にルーシーが嫌がるようなことをしようなんて考えない。
 だけど……俺の理性が保てるかどうかは謎に包まれたままだった。

 調理器具は勿論家にはない。
 でもわざわざルーシーの家から持ってきてもらうのも申し訳ないし、またルーシーが作りに来てくれたらいいな……という淡い期待もこめて、事前にいろいろと買っておいた。……炊飯器まで買ったのはやりすぎだったかもしれないが……。
「ルーシー、それで足りるー?」
 台所に先に案内し、調理器具を見てもらう。
 一応一式買ったとはいえ、もしも足りないものがあったらと思うと心配だったのだ。
「大丈夫です。何だかわざわざすいません」
「いーんだよー。これからもルーシーが作りに来てくれたらって思うと、この買物も安いもんさー」
「なっ……何言ってるんですか!」
「じょ、冗談だから……包丁しまおう?」
「……もう、全く」
 そしてもう一つの心配も、どうやら大丈夫な様子だった。
 ルーシーはいつもの調子で剥きになってくれて、硬くなっていた表情も幾分和らいでいるかのように見える。
 こっそり顔を盗み見てみれば、薄っすら微笑んでいるようにさえ見えてドキッとした。
「俺も何か手伝う?」
 心臓の高鳴りをごまかすかのように、(一応)手伝いを申し出た。
「いえ、今日はお礼に来たので……長谷部さんはゆっくりしていてください」
 勿論この返事が来ることは予想済みだったので、俺はそれを受け入れることしかできない。
 なかなか頑固なところがあるのも知っていて、きっと手を出せば怒ることだろう。
 ……正直なところ、何を作るかという点で不安がある。
 俺はルーシー曰く『毒見役』という位置づけなのだから。
「おーじゃあ楽しみに待ってる」
 そうは言っても、俺はルーシーを信じていた。
 不安はあるものの、あのルーシーが食べられないようなものを作るわけがない。
 信じているからこそ、俺はあえて胃薬を用意しなかった。
「任せてください!」
 自信たっぷりに笑顔を浮かべながら、どんっと大きな胸に拳を当てる。
 もうそれだけで、信じる理由は十分だった。



 俺はリビングで一人、時折台所を気にしながらもだらりと過ごしていた。
 自前のエプロンを身につけて軽快なリズムでトントンと音を奏でながら包丁で何かを切っているルーシーに、俺は落ち着かずにゴロゴロする。
 ……恋人同士や夫婦になったら、こんな日常が毎日のように訪れるのだろうか?
 それを考えるだけで顔はにやけていき、ますますルーシーへの愛が深まるばかりだった。
 毎日ルーシーがご飯を作ってくれて、俺は何を作っているんだろうと妄想しながら一生懸命な姿をニコニコしながら眺めていることだろう。
 なんと幸せな人生なんだろう。
「ルーシー……俺、ルーシーと結婚したい」
 俺という人間はなかなかに正直だ。
 思ったことは躊躇うこともなく声になって、声になった途端に自分がとんでもないことを口にしたんだと気付く。
 恋人通り越して結婚なんて言ってしまった……。
 まあそんな大声で言ったわけじゃないし、妄想がちょっと垂れ流されただけだし……気にすることなんてないだろう。
「痛っ」
 ……でも、その希望はあっさりと崩される。
「ルーシー?」
 妙な声に驚いた俺は、慌てて身体を起こして台所へと向かった。
「す、すいません……ちょっと切ってしまいました。というか、何変なこと言ってるんですか長谷部さん!」
 そこには指を切ったと思われるルーシーが怒りながら指を舐めている。
「大丈夫? 手、見せて」
 できるだけ冷静さを装って、切ったと思われる手を強引に自分の方へ引っ張った。
 傷口はそこまで深くないが、出血はまだ止まっていない。
「は、長谷部さんっ、大丈夫です!」
 彼女が動揺するのはきっと、俺もさっきのルーシーと同じことをしているからだろう。
 血が垂れてしまいそうだからと咄嗟に口に含んだはいいが、正直俺も思いっきり動揺したかった。
 ……だけど、好きな子の前ではカッコつけたい俺が、それを邪魔している。
「ちょっと待ってて。絆創膏持ってくるから」
 ルーシーの手を解放し、ぽんっと頭を撫でてから台所を離れる。
 普段滅多に使わないと仕舞い込んでいた絆創膏を奇跡的にも探し出し、それを手にして再びルーシーのところへ戻った。
 真赤な顔をしたまま立ち尽くしている姿は、見事に石化しているように見える。
 一応は意識してくれているんだろうか?
 そう思うと、ちょっとだけ嬉しくて笑みがこぼれた。
「ほら、絆創膏。巻いてやるから手貸して」
「……ありがとう、ございます」
 今度は大人しく手を差し出し、俺も変なことをせずに絆創膏を巻く。
「でも、これは長谷部さんが変なことを言ったせいですからね……」
 頬をぷーっと膨らませながら、不貞腐れたかのようにルーシーは苦情を呟いた。
「申し訳ございません。俺の願望が隠し切れませんでした」
 普段苦情をいくつも対応しているせいか、いつもの口調がついつい出てしまう。
 絆創膏を貼って一度頭を下げると、必死に笑いを堪えているような声が聞こえてきた。
 いとも簡単にご機嫌取りに成功してしまったことに拍子抜けしてしまった俺は、ゆっくりと顔を上げてすっかり笑顔になってしまったルーシーを見つめる。
「俺が傷をつけちゃったね。責任取りましょうか?」
 ルーシーはもっとおどおどしたり、わたわたしたり。真赤になったり怒ったり、落ち着きもないまま俺に振り回されて欲しい。
 ……なんて、ちょっぴり酷いことを思ってしまった。
 だってしょうがない。
 好きな子をいじめたくなるのは、どの年代でも共通していると信じているから。
「せ、責任って……何なんですか……」
 思惑通り真赤になって動揺するルーシーは、いつ見たって俺が恋する女の子だ。
 身の危険を感じたのかほんの少し後退りするけれど、そんなの無駄だというように俺はどんどん距離を詰めていく。

「傷物になってしまったルーシーを、責任を持って人生をかけて愛することを誓いますってことだよ?」

 告白を通り越してもはやこれはプロポーズだ。
 一瞬ぽかんとしたまま固まってしまったルーシーは、途中で言われた言葉の意味を理解したようで再び真赤に染まっていく。
 口をパクパクさせるだけで声は全く出ていないので、その隙を狙って俺はここで一気に距離を詰めることにした。
「もうさ、俺限界だよ……。俺の家までわざわざ一人で来ておいて何もするなっていうのは……俺には無理」
 その言葉を合図に、俺の中の第一防衛ラインは突破された。
 ルーシーが言葉を失っている間に、隙だらけの腕をがっちり掴んで思いっきり引き寄せる。
 身体に似合わない豊満な胸がぐいぐい自分の胸に押し付けられて、その柔らかさでどうにかなってしまいそうだった。
 ……なのに力を入れると壊れてしまいそうで、腕の中に収めた物の脆さを体感する。
「は、長谷部さんっ! ちょっと!」
「無理ー何も聞こえないー電波が悪いみたいー」
「なななな何言ってるんですか!」
 それからひたすらルーシーの叫び声が聞こえたけれど、全部聞こえない振りを貫き通した。暴れるけれど、俺の手にかかればそれくらいどうってことない。
 この温もりと柔らかさと心地よさに、俺はささやかな幸せを噛み締めているのだ。
 もうずっと……この時間が永遠であってほしいと願う。



「………………長谷部さんのバカ」
 ルーシーはぽそりと呟き、暴れることも叫ぶこともやめてしまった。
 諦めてしまったのか、呆れられてしまったのか……それとも受け入れてくれたのか。
 一体どれなのかは、幸せバカになってしまった俺には分からない。
 せっかく大人しくなったというのに、何故か大人しい状態に違和感を覚え、俺は何故かルーシーを解放する。
 ゆっくりと離れ、真赤になったルーシーを見ようと顔を覗き込む。
「ルーシー?」
 だけど、様子がおかしかった。
 俺が予想していたのは不機嫌そうな表情だったのに、酷く残念そうな表情だったからだ。


 あ、今第二防衛ライン突破したかも……。


 でも俺は悪くない。
 ルーシーがそんな可愛い反応をしなければ、俺の防御は完璧だったからだ。
「……全部ルーシーが悪いんだからな」
 それからもう一度腕を掴み、強引に台所を後にする。
「長谷部さ」
「全部ルーシーが悪いんだからなー」
「何がですかー!」
 ニッコリと笑みを浮かべながら、暫く困惑気味のルーシーを見つめる。

 さて、これからどうしてやろうか。
 笑顔の裏で下種な妄想を繰り広げながら、ルーシーの細い腕をがっちり掴んでいた。












 その後、予定より大幅に時間をオーバーしたが、無事にルーシー特製の和食フルコースを堪能した。
 その間に何があったかは……ご想像にお任せということで許して欲しい。


(だけど、俺は本当に嫌がることだけはしていない……それだけは、命を懸けても誓おう)(胡散臭いけど)