ほんの少しの、優しい時間。

 金曜日は悲しくて寂しい。


 長谷君たちが家に来たあの日からあっという間に時間は過ぎ、気付けばいつの間にか金曜日だ。
 最近の私は、金曜日が来なければいいのにと願うことが多い。
 土曜日も日曜日も会えたなら、その悲しみは先延ばしできるかもしれない。
 だけど、休日も会えたなら、余計に思い出が増えることで悲しい気持ちが強まる気がする。
 そう思うと複雑で、自分に降りかかった悲劇をひたすら恨んだ。


「藤宮」
 金曜日の昼休み、もう少しで終わるところ。
 長谷君との屋上でのお昼ご飯から教室へ戻り、次の授業に使う教科書を机から出そうとした瞬間、背後から声がかかった。
 振り返るとそこには桐生君の姿があり、一瞬身体がこわばる。
「な、何?」
 咄嗟に返事をするものの、声が震えたような気がして自身を情けなく思う。
 桐生君からは小さな溜息が聞こえてきて、『ああ、呆れられたかも……』と自己嫌悪が押し寄せてきた。


 桐生君は長谷君と違って、怖いと感じてしまうような雰囲気を纏っている。
 勿論、中身は違うと知っている。
 何度も助けられたし、私の家に来た時だって友達だと言ってくれた。
 嫌がっていたらきっとはっきりと嫌と言うだろうし、私の傍にもいないだろう。ましてや、声をかけるなんて……。
 だけどまだ慣れなくて、慣れるには時間がかかりそうだった。


 そんな桐生君は、少し言いづらそうに立っている。
 私が怖がるから言いづらいと思っているのだろうか?
 でも、言いたいことははっきり言うタイプだと思うし……そう思うと、この状況は不思議だ。
 すると、黙り込んでいた桐生君がぽりぽりと頭を掻く。
「あのさ」
 ようやく声を発した桐生君に、私は小さく息をのんだ。
 まるで時間が止まったかのような感覚に陥り、騒がしい筈の教室が無音のように感じる。
 何を言われるんだろう。何かしただろうか。
 次の言葉を紡ぐまで、多分そんなに時間はかかっていない。
 なのに私は永遠のような静寂に、酷く息苦しさを感じていた。


「こないだ読ませてもらった漫画……続きを借りたいんだけど」
「……へ?」


 静寂の先には、予想もしない展開が待っていた。
「えっと……え?」
「だから漫画。あいつらがうるさくて読めなかったんだよ……続きは気になるし」
 照れる様子もなく、いつもの冷ややかな表情だけが瞳に映る。
 私の思考は上手く言葉を呑み込めなくて、何度も瞬きを繰り返すばかりだ。
「……嫌ならいいんだけどよ」
 ぽつりと呟くような声は、桐生君らしい言葉のように思えた。
 言いたいことを何でもはっきり言うけれど、ちゃんと気遣いだってできる……優しい人。
「ううん、嫌じゃない。どの漫画かな? 教えてくれたらまた持ってくるね」
「ああ、悪いな」
 淡々としたやり取りだったけれど、私の心は妙に温かくなっていた。
 何かを貸し借りするのは友達っぽい……。
 直感的にそう感じたせいかもしれない。



 桐生君のことは毎週覚えていたけれど、そろそろ忘れてしまうんだろうか?
 友達になれるのは嬉しいけれど、忘れてしまうのは寂しい。
 今日は金曜日だ。
 私は今日の約束を、桐生君のことを……ちゃんと覚えていられるだろうか?



「これ。借りたいやつのメモ。まあ……日記にでも貼っといてくれ」
 不安に溺れてしまいそうになった刹那、桐生君は私を救い上げてくれた。
 見慣れない桐生君の字で、私が忘れてしまうかもしれないことを察して、事前に用意してくれたメモ。
「あ、ありがとう」
 差し出されたそれを大事に受け取ると、ぐしゃぐしゃにならない程度に優しく両手で包み込む。
「絶対! 来週持っていくから!」
 気づけば私は、力強くそう叫んでいた。
 大げさと言われればそうかもしれない。
 だけど、私にとってはどんな些細なことでも大切で、かけがえのない出来事なんだ。
「おう」
 ぶっきらぼうな返事が返ってくると、桐生君はそのまま自分の席へと移動した。
 振り返ったままの私も前を向いて座り直し、桐生君のメモを大切に鞄の中へ仕舞い込む。



 一連のやり取りが終わると、丁度昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
 数分の出来事は、私の中の大切な思い出の一ページとして心の奥底に積み重なる。

(帰ったらちゃんと日記を書こう)

 そんな決意を胸に秘めながら、私は再び授業の準備を始めたのだった。