リベンジ

「はあ!? 奥寺先輩に会いたい?」
「そう! だって……まだうちの身体で会ったことないんやもん……」
 俺と三葉が恋人になり、ようやく二人で出かけることにも慣れてきた頃。学生時代に働いていたレストランで夕食を食べていると、三葉は突然そんなことを言いだしたのだ。
 ……おそらく、このレストランを選んだのが原因だろう。
 ここで働いていたのは、何も俺だけではない。入れ替わっている間、三葉もこのレストランで働いていたのだ。
 そして余計なことばかりし、憧れの奥寺先輩と勝手に距離を縮め、デートの約束まで取り付けるというとんでもないことまでしてくれた。
 まあ、それ以降の入れ替わりはなく、三葉と奥寺先輩の接触は断たれたわけだが……。
「せ、先輩も忙しいだろうし、第一お前と会ったって困らせるだろ。お前のこと知らないんだし」
 三葉と会わせても嫌な予感しかしない。
 心の奥底でざわつく感覚に、俺はなんとか諦めてもらおうと説得の道を選んだ。なんとか冷静を取り繕い、ピザを食べながら俺は早口でそう言う。
 しかし、三葉にはよくない選択だったようだ。いや、俺の台詞が気に入らないようだった。

「何でそんなこと言うんよ!」

 ばんっと大きな音を立ててテーブルを叩き、三葉は立ち上がって叫ぶ。
 仮にも、そこそこオシャレなレストランだ。その行為はあまりにも場違いで、控えめに賑わっていた店内は静まり返る。視線は立ち上がった三葉と呆気に取られている俺に釘付けだ。
「み……三葉……とりあえず、座れ……」
 昔、喧嘩っぱやかった俺が、こうして誰かを宥めているのは大人になった証拠なのではないだろうか。学生の頃だったらきっと、ここでしょうもない言い争いをしていたに違いない。
「いやっ」
 だけど、彼女の方はどうも頑固なところが治っていないようだった。
「絶対! 会いたいの!」
 そして俺は、この場の空気と強情な彼女の押しに負けて、久しぶりに奥寺先輩へ連絡をすることになった。


***


 それから二週間後の日曜。
 奥寺先輩が四ツ谷に来てくれると連絡があり、俺と三葉で待ち合わせ場所に待機していた。
「ど、どどどどどうしよ……うち、変やない? おかしくない?」
「いや、おかしいだろ。落ち着けよ」
「だって……久しぶりなんやもん……」
 俺たちは待ち合わせの三十分前に集まり、こうして挙動不審な三葉を見守っている状態である。
 俺とデートする時ですらここまで緊張していなかった気がするのに……そう思うと、複雑な心境だ。心なしか、服装も普段より気合が入っている……というか、奥寺先輩に合わせようと、どこか大人びた印象を受けるような、そんな恰好をしている、気がする。
「とりあえず、初めましてなんだからその辺ちゃんとしろよ。入れ替わりのことは言うなよ」
「分かっとるもん……うちやって、やればできる子やし」
 その台詞が割と不安を煽ってくるのだが……とは、空気を読んで言わないことにする。
 一応、入れ替わりのことは二人だけの秘密となっている(今のところ)(俺が把握してる範囲では)。
 いつかは世話になった人物に伝えたいとは思っていても、なかなか伝えられないのが現状だ。
 今日はとりあえず顔合わせ。
 三葉も今にもぶっ倒れそうな勢いで緊張しているし、また落ち着いた時でいいだろう。


「たーきくん」
 そうこうしているうちに、背後から声がかかった。
 初めてのデートの時も、不意に後ろから声をかけられたんだっけ。
 そんな思い出を懐かしみながら、俺はゆっくりと振り返った。
「奥寺先輩、お久しぶりです」
 あの頃よりは、少し落ち着いて挨拶ができた気がする。
「なんか、大人になったね。瀧くん」
 心を読まれたかのように、奥寺先輩はにこっと微笑みながらそう言った。
「で? この子が瀧くんの彼女かぁ」
 そして、先輩は俺の後ろにいる三葉へと視線を移す。
 三葉は石のようにかちこちに固まってしまっていて、声も出ないようだった。
 そこまで緊張するかよ……前に会ってるくせに。
「初めまして。前に瀧くんと同じレストランで働いてました。奥寺ミキです」
「は……はじめ、まして。宮水三葉、です」
 俺の前ではあんなにきゃんきゃんわめく狂犬のくせに、今の三葉は目をうるうるさせたチワワのように可愛らしい。
 普段見せない表情にやきもきしながら、ひとまずは口を挟まず二人を見守る。

「あら? あなた……どこかで会ったことない?」

 しかし、奥寺先輩の突拍子もない台詞で、俺も三葉も頭が真っ白になった。
「え?」
「どうして……」
 無意識のうちに、俺も三葉もそれぞれ声を漏らす。
 その様子がおかしかったのか、少しだけ先輩は笑いながら、
「なんとなく、かな?」
 なんて、ミステリアスな雰囲気を醸し出していた。
「何か昔、二人でいろんな話をして、楽しかったなぁって……そう感じるようなことがあったような、そんな気がするのよね」
 俺は奥寺先輩の言葉を、よく分からないまま聞いている。
 懐かしみながら、「どんなだったとか、はっきり覚えてないんだけどね」なんて付け足して笑う。
 もしかしたら、本当にそんなことがあったのかもしれない。
 昔読んで、だけど消えてしまった彼女のいつかの日記に、そんなことが書いてあったかもしれない……そんなあやふやな思い出に、確信を抱き始めてしまう。

 そう思うのは、きっと彼女の驚きと喜びに満ちた表情のせいだろう。

「あ、あの!」
 三葉はおもむろに奥寺先輩に近寄り、とんでもないことを口にした。
「う、うちと……デートしてくれませんかっ」
 本当に、とんでもないことを口にした。
「は? お前何血迷ったことを……」
「いいわよ」
 落ち着けと宥めようとするのを制するように、奥寺先輩は迷う素振りもなく承諾した。
「ほんまですか!」
 更にぱあっと明るくなっていく三葉の表情に、今まで見たこともないような優しい笑みを奥寺先輩が向けていた。
「ええ。瀧くんに聞いたけど、三葉ちゃんは岐阜の方に住んでたんだよね。東京観光とかした?」
「いえ。まだ全然……いざこっちに来ると、新生活でばたばたしちゃって」
「じゃ、行きましょっか。あとカフェもオシャレなとこいっぱいあるのよ」
「カフェ! 行きたいです!」
 そして、すごく盛り上がり始めている……俺の存在を忘れられているかのごとく……。

「あ。瀧くんは帰ってもええよ?」
「は?」
「そうね。デートだし」
「はああ!!?」

 おかしい。
 始まりからおかしいけれど、この展開は本当におかしい!

「……リベンジだよ、奥寺先輩とのデート」
 それから三葉が俺に近づいたかと思うと、弾んだ声でそう耳打ちした。
「大丈夫よ、瀧くん。送り狼にはならないから」
 少し離れたところから、奥寺先輩がさらっととんでもないことを口にしている。
 ……完全にからかわれている……だと。



「なんだよこれは!!」





 最終的になんとか三人で出かけることになったけれど、俺にとっては散々な結果になったことは言うまでもない。

 だが、三葉も奥寺先輩も楽しそうだったので、それでいいかと思うことにした。