図書室の住人

ぼっちな彼女について

 中学の時から、立花梨乃とは同じクラスだった。
 しかし、高校二年まで同じクラスとはいえ、仲がいいかと問われれば首を傾げる。

 俺は当時、教室で孤立していたクラスメートを放っておけない性質だった。
 学年が変わって初っ端から休んでしまい、グループが出来上がっていく中孤立してしまうヤツに声をかけたり、いじめられているような気がする人物に接触したり。何かとお節介な人間だったなぁ、と今では思う。
 中学の頃よりは大人しくなった俺だけど、俺自身は特に何かあったわけではない。虐められたり、ものすごい人気者になれたわけでもない。
 声をかけた人物とは、大抵自然消滅する。別に俺が嫌いになったとかではなくて、ある程度俺と話し慣れていくうちに、本当に気の合う人物を見つけて仲良くしていくのだ。
 そうしているうちに、俺にも新たに目につく生徒が現れる。きっと俺は、仲良くしたくて近寄ったのではなく、ただ気になって声をかけただけなんだろう。俺はただ、誰かを助ける自分に酔っていたのだろうと今では思うのだけど、そんな偽善でも、すべてがお節介になったわけではない。誰かを救った偽善だってあったはずだ。
 あの時の自分は痛いところもあったかもしれないけれど、無駄ではなかったと今でも思う。
 ……というか、たまたま運が良かっただけで、最悪俺がいじめの標的になってもおかしくなかったんだよなぁ。
 そういう感覚を高校生になって覚えてからは、あまりむやみやたらと行動するのは控えている。まあ、そういうものを目撃しなくなったというのもあるのかもしれない。


 それで話は戻るが、同じクラスの立花梨乃は、いつもぼっちである。だからこそ、俺はある時に声をかけたのだ。
 いつも自分の席で本を読んでいる、物静かな女子。
 しかし、いざ声をかけてみると、割と話はしてくれるものだった。人によっては『話しかけるな』と一蹴したり、話すのが苦手で動揺してしまったり、すんなり話をするのにはある程度時間がかかるものだと思っていたが、立花については話しやすかった。
 だけど、会話をしていると、何か引っかかる……というか、違和感を感じることが何度かあった。これは予想だが、話している時の立花からは『早くどこか行かないかな』と思わせるオーラを出していた気がする。
 それが確信に変わったのは、立花の趣味であろう読書について尋ねた時だった。
 最初の方は、授業の話だったり、天気の話だったり、他愛もない世間話が多かった。回数を重ねるにつれて、どこまで踏み込んでいいかを探りながら、徐々に立花自身に触れるような話題を振っていき……ついに、そこに辿り着いた。
「そういや、いつも本読んでるよな?」
 課題の話の後、俺は突拍子もなく尋ねた。
 立花は『何を言ってるんだ? こいつ』みたいな顔をして、首を傾げている。何だか気まずい気がして、俺はひとつ、自分の中の予想を伝えた。
「いや、もしかして俺邪魔してるかなって、思ったから」
 伝えてみると、立花はちょっとだけ動揺を見せた。今までに見たことのない顔で、意外と面白いヤツなのかもしれないと、くすっと笑う。
「あ、えっと、その……別に邪魔とかでは」
 明らかにおどおどとしている。いつもの取り繕ったかのような表情とは違い、こっちの顔が自然に感じた。
 そういうところが妙に気に入って、もっとからかってやりたくなる。
「そうかー?」
「う、うん……」
「ほんとは、俺と話してる間にこれだけ読めるはずなのになぁって考えてたりして?」
「うっ」
 ああ、本当に分かりやすい。
 仮面をかぶってうまいことやり過ごすタイプかと思ったけれど、意外とそういうわけでもなさそうだった。
「えっと……まあ、そうかも」
 観念したらしい立花は、ついに本音をこぼした。
「だって本ってさ、この世にあふれてるじゃない? 毎日新しい本が並んでさ……人生全部費やしても、きっとすべてを読みつくすのは無理だろうなって分かってるんだけど……。でも、出来るだけ読むことができるんだったら、少しでも読めたらなって……」
「だから友達作らないんだ?」
「そういうことかな」
 予想以上に、スケールの大きな話だった。
 ただ本が好きというだけではなくて、それに人生を費やそうとしている。
 誰しもひとりは嫌だ(という人間が大半ではないだろうか?)(と俺は思い込んでいる)。嫌だから、友達を作ろうと必死になる。多少自身の何かを犠牲にしてでも、誰かと一緒にいようとする。
 でも、そういうことすら放棄して、ひたすら自身の好きなことに熱中している彼女を、俺は少し羨ましく思った。それが正しいことかは分からなくても、真っ直ぐで、純粋で、好感が持てた。
「だから、和泉くんは無理しなくていいよ?」
 そして言われた言葉に、俺は目を大きく見開く。
「え?」
 何の話だ?
 そう思うけど、すぐに自身の本質を見抜かれたのではないかという予想に辿り着く。
「和泉くんってさ、ひとりの子とかに声かけたりしてるでしょ。わたしのことも、その……心配されてるのかなって、思って」
「ああ……」
 一応、そういうところは見ているらしい。
 俺が目立つことをしているせいなのか、立花と関わっているから、一応どういう人間か見極めているのか。理由は分からないけれど、全く興味を持ってもらえないよりは全然いいので、ちょっとだけホッとしている。
「確かにまあ……心配だったけど……」
 立花の困ったような顔を見つめながら、小さく溜息をつく。
 心配だから、俺はぼっちなヤツらに声をかけていた。立花に対してもそうだった。だが、今のやり取りで、気持ちは変わった。
「まあ、空気読んで話しかけることにするよ」
「え?」
 本当は、立花に興味を持ったから、友達になれたら面白いだろうな、なんて単純なことを考えていた。が、さすがにそれは心の中に留める。別に恋をしたとかそういうものではないことだけは言っておこう。だが、今まで声をかけた誰よりも、興味深いことだけは本当だった。
「どういうこと?」
 不思議そうといえばいいか、困惑しているという表現の方が正しいのか。
 立花は先程よりも動揺しているように見えて、それがちょっとだけおかしかった。
「読書の邪魔にならないように声をかけるから安心しろ」
 にこりと笑うと、ますます頭にクエスチョンマークを浮かべたような様子を見せる。


 そんなやり取りを重ねているうちに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
 あと五分もすれば本令が鳴り、午後の授業が始まる。
 立花とのやり取りもここまでで、この後いつ頃話せるかは……きっと俺次第だ。断言できるが、絶対に向こうからは声をかけられない。
「今度さ、立花の好きな本貸してよ」
 席に戻る前に、俺はひとつの希望を口にした。
 やっぱり立花は驚いた表情を浮かべていたが、次第に嬉しそうな表情に変わり、「うんっ」と返事を返してくれる。
「約束な」
 そして立花の反応を確認するまでもなく、俺は自分の席に着いた。
 もしかしたらこれで、向こうから話しかけられるかもしれない。
 どう転ぶか分からない彼女の行動を何通りも思い浮かべながら、誰にも見られないようにひっそりと笑みを浮かべる。

 交わした約束は、きっと未来に繋がっているだろう。
 あんなに嬉しそうに返事をしたのだ。忘れたり、破ったりすることはないと思いたい。
「……何貸してくれるかねぇ」
 机にほおづえをつきながら、胸を躍らせるのだった。



 まさか数年後、ぼっちを望んでいた彼女と友達になる日が来るとは……今の俺には想像もできなかった。
Page Top