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おさななじみさん。 <後編>

 忘れ物に気がついたのは、靴箱でドッキリを確認していた時のことだ。
 持って帰るはずだった体操服と、今日の宿題で使う教科書。
 確か二つを一緒に手提げ袋に入れて机にかけていたことを思い出し、純と一緒に教室へ向かっていた。
「お前ドジだなぁ。ちゃんと確認しろよ」
「……ごめん」
 帰宅する生徒と何人もすれ違いながら、うっかり忘れ物をしてしまった自分に自己嫌悪する。
 だけどまあ、教室にあるのは確かなんだからさっさと取りに行けばいいだけの話だ。
 別についてこなくてもいいと言ったのについてきたのは純の方。だから気にすることはない。
 自分を慰めながら教室へ辿り着く。
 既に人がいなくなってしまった教室はやけに静かで、普段なら気付かないであろう自分の足音がやけに大きく感じられた。

「……あれ?」
 しかし、目的の場所には目的の物は存在しなかった。
「おかしいなぁ……確かに机の横にかけといたんだけど……」
 自分の机には何もかかっておらず、おかしな光景に焦りが生まれ始める。
「どんな手提げだっけ?」
 隣にいた純が一言尋ねてきて、わたしは探している青いドット柄の手提げについて詳細に語った。
 体操服が入っているからちょっと膨らんでいて、すぐに目に付くはずなんだけれど……。
 だけどそれらしき物は教室内では見当たらなくて、わたしは大きく溜息をついた。
「……柚。お前は教室をもう少し探しとけ。ちょっとオレ用事思い出したからちゃちゃっと片付けてくる」
 すると、突然純がわけのわからないことを口にした。
「えっ、どうし」
 振り返って純に尋ねようとした瞬間には既に教室を飛び出した後で、わたしは呆然と立ち尽くす。
 独りぼっちの教室はやけに寂しくて、心細いわたしはほんの少し泣きたくなった。



 あれからロッカーや心当たりを探したけれど、どこにも見つからなかった。
 もしかしたら……と過ぎるのはドッキリの件だけど、そうであって欲しくないという願いがわたしに希望を抱かせる。
 きっとどこかに落として、落し物として届けられているかもしれない。
 あんな大きなものをどうやって落とすのかとツッコミを入れてやりたいが、とりあえず紛失したことを担任に伝えようという冷静さはあった。
 純がどこに行ったか分からないが、とりあえず職員室へ行ってから純を探そう。
 目的をしっかり見つけたわたしは少しだけ心細い気持ちが収まり、落ち着いていく。


「おい! お前ら!」
 教室から職員室へ向かうには渡り廊下を通らなければいけない。
 その渡り廊下を歩いている最中、近くの中庭の方からものすごい怒声が聞こえた。
 しかもその声があまりにも聞き覚えのある声だったものだから、わたしは驚きながらもそっとその声の方へと近づいていく。
「今何してるか言ってみろ」
 草陰からこっそりと覗き見ると、そこには彼氏様と女の子数人が一触即発みたいな雰囲気を醸し出していた。
 女の子たちは確か、さっき廊下ですれ違った子たちだったような……。あやふやな記憶を辿りつつ、あまりにも冷たい彼氏様の声色に寒気がする。
 そして彼女達も真っ青な顔をして怯えているのがちらりと目に入った。
 それからもう少し周りを見渡してみると、近くにある池に一冊の本らしきものが無残にも浮かんでいるように見える。
 それだけでは何も分からないと思っていたが、本の近くに見覚えのある手提げ袋が浮いていて、まさに自分が探していた体操服とそれを入れていた青いドット柄の手提げ袋であることが分かり……無残に投げ入れられた本が自分の物であることを確信する。
 彼女達こそがドッキリの仕掛け人であったことに気付いて、本当にいたんだということを知ってしまう。
 それはとてつもないショックであった。
 小刻みに手が震えて、今にも崩れて泣いてしまいそうになる。
 今までは彼女達の姿を見ていなかったから、きっと大丈夫だった。自我を保てていた。わたしが見ていたのは結果でしかなく、経過は何も知らない。
 だからこそ、その経過を目撃してしまったことがショックでならなかった。

 ……だけどすぐにその感覚からはサヨナラする羽目になる。

 怒涛の彼氏様お説教タイムが始まったからだ。

「お前らが星森柚に嫌がらせをする理由は大抵想像がつく。んで、嫉妬に狂うことを咎めたりはしない。お前らの自由を奪う権利なんてオレにはないからだ。でも、失恋したら他人に嫌がらせをしていいなんてそんなバカみたいなことは許さん! アホか! もし自分がされたらどう思うかなんて考えないのか! ああ、考えないのか。そりゃ、自分が傷ついたんだから八つ当たりもしたくなるよな。誰かのせいにして傷つけて自分の傷を癒したいんだよな、そうなんだろ?」
 冷たい声色、時折嘲笑うことで恐怖感を煽り、遠慮することもなく責めていく。
 明らかに彼女達は涙目で、三人のうち一人は泣き出しているようにも見えたが、彼の攻撃は容赦なく続いていった。
「まあ、嫌がらせなんて暇人がやるようなことに精を出してるお前らの感覚は理解できないが、靴や体操服みたいなのは別にいいさ。どうせ予備があるし、どうにかできる。でもなぁ……教科書は駄目だ。教科書に予備なんてあるか? 本屋に売ってるか? ぐしゃぐしゃになった教科書を乾かして使えとか言うのか? オレはな、雨でちょっとでもふやけたり濡れたりしたノートや教科書を使うのが大嫌いなんだよ! ほんっとうにイライラする。しかも今池に浮かんでる教科書、明らかにボロボロ破れていってるよな? 悪意しか感じられないような細かさで千切られてるよな? それってもう使い物にならないってことだよな? じゃあ、勉学に支障が出るんだよな? 勉学を目的として学校に来ている星森柚の勉学の権利を奪っていいっていう権利がお前らのどこにあるのか、分かりやすく説明してもらおうか? こんなことするってことはそれなりの覚悟と責任が取れるっていう確証があるからやってるんだよな? お前らがちゃんと責任取れるかを聞きたいね。どうやって責任を取るかっていう具体的な提案もよろしく、簡潔に」
 お前が簡潔に説教しろよ!
 あまりにも長すぎる言葉に、庇ってもらっているわたしが言うのも何だけど……心が折れた。
 もしわたしが彼女達の立場だったら、自業自得とは言えど恐怖で立っていることさえできないと思う。
 青春の一ページで犯した過ちに対する言葉にしてはちょっと厳しすぎやしないかと、これまたわたしがこう思うのも何だけど彼女達に同情心が芽生えてしまった。
 彼氏様は言いたいことを言い終えたようで、冷たい目をしたまま彼女達へガン飛ばしているようだった。時々ドヤ顔ではないが、嘲笑うような笑みを浮かべてくる。
 遠目から見ても分かるほどに震え怯えている彼女達は、恐怖で声が出ないような雰囲気で立ち尽くしている。……立っているだけで褒めてやりたいくらいだ。
 純を敵にしたくないという気持ちは小学生くらいの時から芽生えていたものの、今その気持ちは再確認される。本当に、味方でよかった……。
 無言の空間が更に辛さと恐怖を増し始め、わたしは思わず隠れている場所から飛び出して純を止めたい。
 純がわたしのために怒ってくれていることは嫌というほどに理解している。
 飛びぬけて頭脳明晰で口が達者な彼が、口喧嘩で負けたことがないことも分かっている。わたしだって一回も勝ったことがない。
 多分きっと、放置すれば彼女達に大きな傷がつくだろう。むしろもうついてるんだろうけど……でも、取り返しのつかないほどのものになりそうなのが、わたしは怖かった。

「んまぁ、いろいろ言ったけど」
 すると、恐怖に包まれた空間は張本人の彼氏様によって打ち砕かれた。
 明らかにいつも聞く明るい声色が聞こえ、この空間に存在するわたし・彼女達の恐怖感は緩和されていく。
「オレは、幼馴染の星森柚に十二年間片思いしている」
 何ですと!
 突然のカミングアウトに思わず声に出てしまいそうな言葉を必死で飲み込んで、食い入るように純に視線を送った。
 さっきの冷たい表情が嘘のように穏やかな表情を浮かべている。
「んでやっとオレはアイツと両想いになれた。長かった十二年、本当に感慨深く思うよ。お前達にオレの喜びが分からないとは言わせねーぞ? オレだってお前らみたいに誰かを好きになったりするんだよ。『みんなの藤川くん』なんてごめんだ」
 それは、わたしの知らなかった純の想いだった。
 わたしが純を好きになったのは、中学二年生の時。
 恋に変わるまで……そして気付くまで、やけに時間がかかった。
 だけど純は、わたしが恋に気付くもっともっと前から恋だって自覚があったんだ。
 昔から頭の回転が速い人間であることは分かっていたけれど、こういう部分だってちゃんと分かっていたんだ。
 ずっと傍にいてくれて、困っていたら助けてくれて。
 きっとそれは単純に幼馴染だからとか、家が隣だからとか、年が一緒とか、そんなのじゃないんだろう。
「オレはさ、基本的にこうやって誰かに攻撃的にはなりたくない。何で他人のためにこんな労力使わなきゃいけないのかってバカバカしく思うさ。でも、好きなヤツが困ってるなら話は別だ。お前らのウサ晴らしで辛い想いをしている彼女を助けることが悪なら、オレはいくらだって悪人になる」
 その言葉を聞きながら、わたしは今までのことを思い出していた。

 そうだ……純が恐ろしい言葉で罵ったり精神的ダメージを背負わす時は、わたしが辛くて泣きたい時だった。
 昔からやっぱり、カッコいい純は人気者で。でもわたしは凡人で。
 人気者の隣にいる凡人がやたらと攻撃を受けることが多くて、わたしは小さい頃よく泣いていた。
 悪意をぶつけられるのはやっぱり辛くて怖い。
 わたしが離れればそれでよかったかもしれないのに、わたしは離れたくなかったし、純も離してくれなかった。

「柚、そこにいるんだろ?」
 突然名前を呼ばれて、わたしは大きくびくついた。そのびくつきは伝染していたようで、仕掛け人たちも驚いている。
「お前らにチャンスをやる。本人に誠心誠意謝罪しろ。それで許されるかどうかは柚次第だし、お前らがその程度で許されたと思うならそれはそれでいいさ。本人に謝罪して『許す』って言われるなら、オレはもう何も言わない。というわけだから、柚、出てこい」
 予想外の展開とずっとわたしの存在が知られていたことに驚き果てて、勢いでわたしは純たちの傍へと歩み寄っていった。
 彼女達はまたしても顔を青ざめていて、わたしはあまりの気の毒さに今からでも許してしまいそうになる。
「柚、遠慮はいらん。もし思うことがあるなら何でも言っとけ。お前が一番の被害者だからな」
 それは『優しくするな』とわたしの性格を理解した上で釘を刺した言葉だった。
 わたしだって、辛かったし苦しくて悲しかった。
 だけど彼女達が辛くなかったかといわれれば……何も言えない。
 辛かったからこそ、わたしに八つ当たりしてしまったのだから。

「わたしね、辛かったよ。ほんとに辛かった」
 きっと甘い言葉を口にすれば、彼氏様の毒舌が再び蘇ってしまうだろう。
 そんな予感もあって、わたしは出来る限り自分の気持ちを素直に言葉にしてみた。素直になると何だか気持ちが落ち着かない。やけに言葉がまとまらないな……なんて思ったりした。
「やっぱり悪意を向けられるのは辛いよ。でもわたしは藤川純の幼馴染になれたラッキーな人間だったから。生まれた時から今までずっと傍にいれたっていう幸運な人間だったから……等しく不幸が訪れるのも、仕方のないことなのかなって……何だかよく分からないけれど」
 これはまるで、自分のせいだよって自分で追い詰めているようだった。
 何が言いたかったんだろう? もういいよって言えばよかったんだろうか?
 だってわたしには、彼女達を責める言葉なんて持ち合わせていない。
 さっき彼氏様が全て言ってくれたから、わたしの言葉はないんだ。
「とりあえず、純がいろいろ言って怖かったでしょ? わたし絡みで何かあるとコイツはどんなトラウマ攻撃だって躊躇わないから気をつけて。正直わたしも、純のお説教が怖くてそこで震えてたよ」
 同情しているような、脅しているような……自分で何を言っているのかはもう分からない。
 とにかくわたしは、もう終わらせたかったのだ。
 ここで彼女達を責めたとしても、きっと悲しい悪循環が続くだけだと……そう思ったから。






 ひたすらに謝罪を繰り返され、頭を下げられ、その中の一人は土下座までしようとしていて、わたしはさすがにやめさせた。
 彼女達はやっぱり嫉妬でわたしにドッキリを仕掛けていたのだと話してくれていた。
 好きでしょうがなくて、でも幼馴染というわたしがいて、気付けば恋人になっていて。
 もしも彼女達の立場に立ったら、わたしもきっと幼馴染という関係を羨ましく思うことだろう。
 わたしには怒りというものはすっかり消えうせてしまっていて、もう何もしないという約束でこの場を収めた。
 純はまだ何か言いたそうだったが、わたしが許せば何も言わないという約束だったので、何も言わせずにその場を立ち去った。

 全てを終えた帰り道、今日もまた純と肩を並べて歩いていた。
 その足取りは軽やかで、何だかスッキリした気分でいっぱいだ。
「今日はありがとね」
 隣の顔を見ることもなく、前を向いたままお礼の言葉を口にする。
「純が言ってくれなかったらきっと、泣き寝入りして辛いままだったんだと思う。おかげでスッキリした」
 へらっと笑みを浮かべながら怯えることもなく歩けるのは、紛れもなく彼氏様の活躍があってこそだ。
「彼女様のピンチだからな。それを救う騎士になりたいのは当然だ」
「ちょいちょい恥ずかしいワード入れるのやめてくれない?」
「えっ、何でだよチクショウ」
「……別に」
 純とこうして負の気持ちを抱えることなく接することができるのは、いつ振りだろう?
 そう思うと何だか嬉しくて、幸せなことなんだなぁっていう実感が生まれる。

「そういえば、純って結構前からわたしのこと好きだったんだね」
 ふと、純の突然のカミングアウトを思い出したわたしは、余計なことを口にしたかもしれないと今更ながら思う。
 ぎょっとした純は一気に顔を赤くし、それから気まずそうに空を仰いでいた。
「悪いかよ。オレはなぁ、お前が同じクラスの男子をカッコいいって言ってる瞬間もイラついてたし、いつまで経っても鈍感なお前が嫌でしょうがなかったし、小さい頃一緒にお風呂入ってた時期だってドキドキしてたし」
「変態」
「うっさい! とにかくオレはずっと……本当にずっと、好きだったんだ」
 小さくなっていく声が、やけに愛おしく感じられる。
 オレンジと青が混じる空をバックに真赤な顔をしたイケメンという光景は、とてつもなく綺麗で眩しかった。
 そして純のその言葉が、恋人になって初めて直球で受け止めた愛の言葉であることに気付く。
 恥ずかしいからやめろなんて言わない。
 わたしは純から発せられるわたしへの愛の言葉が、嬉しかったんだ……。
「ありがとね、純。めげずにずっと好きでいてくれて」
 何も考えずにお礼の言葉を述べると、それに釣られて純がわたしと視線を合わせてくれた。
 真赤で気まずそうな表情を浮かべる純に思わず笑みを浮かべる。
 そうするとこの状況が気に入らないとでも言いたげな様子で、純は一瞬わたしを睨んだ。


 そして、一瞬だけわたしの記憶が飛ぶ。
 睨んでいる顔が少しずつ近づいた……と思った次の瞬間にはもう、純は離れていたんだ。
「礼はもらったぞ」
 純の真赤な顔は消えない。
 何が起こったか分からないような状況下に立たされたわたしは、冷静さを取り戻し、順番に降りかかった出来事を思い出さなければならなかった。

 純が睨んで、近づいて……何かが触れた感覚がして、離れて……。
 その触れた部分は……?

「お前、ファーストキスまだだったよな?」
 からかうような言葉が、やけにわたしに引っかかる。
「なっ!」
 真赤な顔は伝染し、わたしの熱も上昇していくのが分かった。
 ああ、してやられた。
 わたしがからかったりしたから、仕返しされてしまったんだということに気付く。
 初めてのキス。初めての感覚。初めての温度。
 きっと感じるものはいろいろあったはずなのに、唐突過ぎて何も感じ取ることが出来なかった。
 ……レモン味だったかどうかさえも、確認できないなんて……。
「十二年我慢してきた分、もう手加減はしねぇ。覚悟しとけよ?」
 恐ろしいことを口にしているはず。
 それなのに嬉しいとか思うのは、純の表情が穏やかで優しいからに違いない。




 幼馴染兼彼氏様との生活は、翻弄される日々が続くことだろう。
 その間に何が起こるかはわたしにも分からない。
 またしても悪意を向けられる日が訪れるかもしれないし、楽しい事だらけかもしれない。

 できるなら楽しくて平和な日々を……送れたらいいな。

 そんな淡くて平凡な願いを胸に秘めながら、幼馴染で彼氏のアイツの隣をゆっくりと歩いていく。
 何十年先も隣を歩けますように……もう一つの願いは、空に輝く一番星に祈った。

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Copyright (c) 2013 Ayane Haduki All rights reserved.  (2013.04.07 UP)