おさななじみさん。 <前編>
――どうしてこういう風潮があるのだろう。
わたしは靴箱に入っていたラブレター……とは程遠い、愛のカケラも感じられないような中傷の手紙を眺めながら溜息をつく。
どうして人気のある男子と付き合ってしまうと、悪を成敗するかの如く彼女側を叩くのだろう。
それは女子にありがちなことかもしれないけれど、それにしたって普通じゃできないことだ。
自分が嫌と思うことは他人にするな、なんて小さい頃に教わらなかっただろうか?
叩かれれば痛い。誰しも痛い思いはしたくない。
他人を叩かなければ誰しも痛い目を見ず、幸せに暮らしていけるというのに……誰かが叩くから痛みが蔓延して世界から痛みが消えないのだ。
これは多分、世界に蔓延る戦争やらの争いと通じるものがあるだろう。
……というのはさておき。
手紙以外に特に何もされていないことを確認し、わたしは外履きに履き替える。
どうしてこんな嫌がらせをされるようになったかというと……幼馴染と恋人関係に陥ったことが一番心当たりのある理由だろう。
生まれた時から幼馴染……藤川純とは親しい関係という形になっていた。
家はお隣同士、両親も友達同士、わたしが生まれたのは十月五日、純が生まれたのは十月一日。数日違いに生まれたということもあり、性別の違いがあるにも関わらずわたしたちはずっと仲良くしていた。
思春期を迎えてもそれは変わることはなく、根本的に馬が合う純と一緒にいることはとてつもなく心地よくて、わたしにとって純の隣は最高の居場所だった。
そんな彼と付き合うことになったのは二週間前の話。
あまりにもロマンチックな展開とはかけ離れた告白をされたのがキッカケ。
むしろそれが告白だったかどうかも分からない。
「……オレたち、付き合うか」
行き慣れた純の家のリビングで、わたしと純しかいないその場所で、だらだらとテレビを見ながらお菓子を食べていた……そんな時に。
まるで世間話でもするかのように、アイツはそう言ったのだ。
本当に何がどうなってるんだと思うだろう。
わたしも正直、何言ってるんだこいつと思ったよ。
このまま聞かなかったことにしてやろうかとちらりと純を盗み見るまでは……本気には出来なかった。
なのに純ときたら、いつもの涼しげな顔とは打って変わって真赤な顔して柄にもなく照れてるんだもん。
元々純のことが好きな自分にとって、その表情はほんの少しの躊躇いで立ち止まってしまったわたしの背中を押すようなものだった。
「うん、そうしよっか」
あっさりすぎる。
まるで今日の晩御飯を相談していたんじゃないかと錯覚してしまうようなそんな感じで、わたしたちは恋人同士になってしまった。
多分……わたしたちの中では今更のようなことだったのかもしれない。
だって、ずっと純の隣にいることが当たり前になってしまっていたんだから。
「おーい柚! 今日もラブレター入ってたか?」
背後から声がしたと思えば、登場したのは噂をしていた彼氏様。
「うんー。今日も愛が重たいっすわー」
「はは。羨ましいこった。うっかり嫉妬しちまいそうだ」
実は笑い事ではないのだけど、純がそうやって軽く接してくるからそこまで大きな問題じゃないのかと錯覚してしまう。
「誰のせいだと思ってるのよ」
恨むような視線で、少しはお前もどうにかしろという念を送ってみた。……それが無駄であるということは、次の瞬間にすぐに理解できることなのだけど。
「柚はオレのせいだと思ってるだろ? だがしかし、オレは好き好んでこの顔で生まれたわけじゃない。そういうわけで、苦情等はオレの親にお願いします」
やけに丁寧口調な屁理屈に、わたしは思わずむっとした。正論と言われれば正論だからこそ、余計に腹が立つ。
「とりあえずさっさと帰ろうぜ。靴が無事ならすぐ帰れるだろ?」
あっけらかんとした様子の彼氏様に溜息を零しつつ、靴を履き替えたわたしは歩き出した純の背中を追いかけた。
純と一緒に過ごす時間は、いつだって穏やかだ。
何せ重たい愛を捧げてくる彼女達は、お約束通り純……好きな相手の前ではいい子ぶりっこちゃんだから。
例えわたしに痛い視線を送りつけたとしても、こっちが無視すればそれはそこまでになってしまう。
だから彼女達は、純にかまけて油断している裏を狙って嫌がらせ……ドッキリを仕掛けるというわけだ。
全体的に見て彼女達の行為は無駄しかないのだけど、ドッキリに関しては頭が働いているんだろうな……。
そんなことを頭の片隅で考えながら、わたしと純はオレンジ色に染まり始めた空の下を歩き出した。
さすがにドッキリも振りかかることはなく、隣に純がいるという安心材料もあってか、気を張り詰めていたわたしもほっと安心できる。
「帰りにどっか寄ってくか? 何かあるなら喜んで付き合うけど」
精神的に疲れているのがバレていたのだろうか?
変に気遣いが上手い純は、心配している様子を見せぬまま優しい言葉をかけた。
大抵わたしを気遣うような言葉を発する時は、わたしが落ち込んでいることが多い。
「ううん、真っ直ぐ帰るよ。で、帰ったら純の家に行く」
わたしの中に残された全気力を振り絞って愛想笑いを浮かべながら、無難な返事を口にした。
毎日帰る頃にはすっかり疲れ切っていて、安心な時間があると分かっていても溜息を零したくなる時がある。
最近のそれは下校時間で、最初は割りと平気だったわたしも、どんどん闇に侵食されるような感覚に陥っていた。
純が明るく接してくれるから、わたしも結構長く持っているとは思う。
だけどわたしだって人間だ。
……さすがに二週間は辛い。
「……そろそろ、辛いか?」
心の中のわたしの言葉と純の言葉がシンクロする。
わたしは大きく目を見開きながら、珍しく落ち込んでいる様子を見せる純を見つめた。
あまりにも珍しい光景に、何か声をかけたいのに言葉が見つからない。
「いや、ていうか辛いよな。というかオレは笑ってないでさっさと助けろアホって感じだよな……。明るく振舞って気を紛らわせてやりたいって思ってたけど、本人にとっちゃ逆効果かもな……って思ったらどうしたらいいかわからなくて。オレとしては、あんな低脳な暇人に振り回されずに生きてほしいっていうか、言わせたいヤツには言わせとけっていうか、嫉妬乙っていうか……あーもう、オレはあんなヤツらに無駄な時間を使わされてるっていうのがすっげー腹が立ってて、だから気にしないようにってどうにかしようと」
「わ、分かったって」
慌てるように語りだした純には、マシンガントークという技が備わっている。
……とにかく話し出すと長いのだ。
放置しておくと五分は軽く話し続けるし、聞かなかったら更にそこでお説教タイムが始まる。
頭脳明晰が更に悪夢を誘い、怒らせるようなことがあれば精神的トラウマになるような言葉も平気で口にするから恐ろしいところだ。
「純がわたしのことを想ってくれてるってことはよーく分かったから。おかげでなんか元気でた」
何とか割り込んで素直に思ったことを伝える。
話の途中になってしまったことで純の機嫌が損なわれる可能性もあったけれど、コツを掴めば単純な彼氏様のことなので、意表を突かれた様子を見て確信を抱く。
「それなら……いいんだけどよ」
予想通り、純の機嫌は損なわれずに穏便に事が運んだようだ。
ほんの少し頬を赤らめながら、どんな顔をしていいのか分からないと言いたげな表情をしている。
いつも計算高いと思っていた彼氏様がこうして戸惑っている様を見ていると、ギャップがぐっとくるという言葉が合うのか……新しい一面が発見できたようで嬉しいし、その様子は本当に可愛いのでもっと好きになれる。
「ありがとね」
もっと戸惑うように、笑顔をしっかりと浮かべながらお礼を述べる。
これもまた予想通り真赤な顔をして戸惑う純がいて、さっきまで気持ちがブルーだったことを忘れるように笑った。
ああ、こういうところが好き。
恥ずかしげもなく脳内で好きの気持ちが浮かんできて、わたしを闇から連れ出してくれている気がしていた。
この何億人の人間が存在する世界でたった一人、同じ気持ちで傍にいてくれる人間がいる。それがどれだけ幸せなことか、わたしはその奇跡に感謝したい。
「でも、早く終わればいいなとは思う。無駄な争いは避けたいし、わたしは平和な日常を望んでいるわけなので」
調子に乗らないように、わたしはどさくさに紛れて自分の要望をしっかり伝えた。
前提として、ドッキリを受ける現状がおかしいのだ。それが終わって欲しいと願うのは当然に違いないとわたしは思う。
「そうだな。いい加減にしてもらわないとオレたちの甘いラブラブ生活に支障が出る」
真顔で恥ずかしいワードをナチュラルに盛り込みながら、純はうーんと悩み始めた。
「一応、誰がドッキリを仕組んだとかそういうのは突き止めてる。あとはそこを叩くだけなんだが……。もう二度とドッキリなんかできないくらいのトラウマを植えつけてやりたいが、そんな汚れ役をこのオレが引き受けるのは癪だ。かと言って向こうが何の痛い目も見ないのもオレの腹の虫が収まらねぇ。できれば決定的な瞬間をしっかり目撃して証拠押収して現行犯で捕まえてやりてぇなぁ」
悩み始めたかと思ったら数十秒後には恐ろしいことをさらりと呟き始め、わたしは自然と背筋がぞっとする感覚を抱いていた。
これはもしかして……ドッキリの仕込み組側の方が危ないのでは……?
純の『明らかに企んでます』と言いたげな表情に、うっかり敵側の身を心配してしまいそうになる。
「まあオレに任せろ。オレが真のハッピーエンドへ導いてやる」
ヒーローのようなカッコいいことを言われているのは分かっているのに、表情はどこから見ても極悪人みたいで、わたしは素直に喜ぶこともできずに引きつった笑いを浮かべることしかできなかった。
わたしの平穏は、果たしてやってくるのかこないのか……。
凡人にはまだ分からない未来に、大きく溜息をつくしかなかった。
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