ア カ シ ア
始まりの物語 6
時が止まったかのような感覚を感じたのは、瞬きを忘れるほどに驚き果てた彼のせいかもしれない。何か返事をしてくれれば、表情を変えてくれれば、動きがあれば……それだけで多少の安心感が生まれるというのに、立花先生は未だに止まったままだ。
幸せだった穏やかな時間を一瞬にしてぶち壊した私はというと、人生で一番の作り笑いを浮かべたまま固まっている。自業自得と言われれば反論はできないので、もうどうすることもできない。
「お前……」
ようやく口を開いた彼に、この先のことも考えず安堵した。まだその時ではないと分かっていても、声を聞けたことが思っていた以上に嬉しくて、それだけで救われたような気がする。
「とりあえず……場所を変えるか」
彼の一言で我に返り、ここが人通りの多いショッピングモールであることを思い出すことになった。せめて人の少ない場所へ移動しようという意見には賛成で、私たちは気まずい空気ながらも移動することになる。
移動場所はショッピングモール近くの公園だった。
このショッピングモールには公園が二箇所あり、一つは本当に隣接された場所、子供達が大勢集まれるような広くて遊具も多い公園。そしてもう一つは……少し歩いた先にある、静かでベンチ以外に何もないような場所だった。
木陰の方へと移動して、人目がつかないことを確認する。
「何で分かった?」
それから早速といった感じで、一つの問いかけが彼の口から飛び出していく。立花先生の素直な疑問は難なく私の元へと届き、その問いかけには考える間もなく返答することが出来た。
「最初は気付かなかった。私も緊張していたし、冷静でもなくて。でも、徐々にどこかで会ったことがある気がするって思い始めて……。意識してしまったのはお好み焼き屋で眼鏡をはずした時。決定的だったのは……楽器屋で、ピアノを弾いた時。あの音は、私が学校でよく聴く音だったから」
伝えるべき事を伝え終え、そこでようやく気が抜けた。表情も固まった笑顔は緩んでいき、少しずつ震えが襲ってくる。
「そうか」
特に否定をしない立花先生は、少しずつ冷静さを取り戻していくように感じられた。
浮かない顔をして隣に座る姿を見ていると、本当に申し訳ないことをしてしまったと後悔してしまう。
だけど結局いつかバレてしまうことだから、今だろうが未来だろうが関係ないんだって自分に言い聞かせた。
「雪城……か。お前、いつもと雰囲気が違うから気付かなかったよ。音楽なんて週に一回くらいだし、生徒にそこまで執着してないから……ちょっと雰囲気変わると気づけないな」
苦笑気味の彼は、自分はまだまだだなと言いたげな様子で遠くを見つめている。
「………………そうか、謙史の……」
小さな独り言までは、上手く聞き取ることができなかった。
そこから、また少しの間会話が途切れて静かになる。話した後のことを考えていなかった私は、何と言葉にすればいいのか分からなかった。
この後気分よく遊べるのかと言われれば、答えはノーだった。
不愉快とか嫌いになったとかそういうわけじゃないことは分かっていても、居心地の悪いような……気まずいような気持ちが残るのは明らかだ。
これからどうすればいいんだろう。そして、私はどうしたいんだろう……それを考え始めた時、私は明白な答えが出てこないことに気付いた。
……私はリヒトという人間が好きで、立花理斗という人間を好き嫌いで考えたことがない。教師は教師で、どんなに見てくれが良くても恋愛感情で考えようという発想が無かった。そもそも、ネットゲームで教師と出会うなんて考えもしなかった。こんなことになるなんて想像もしなかった。
ありえないことが起り続ける現状が信じられなくて、私がどういう判断をすればいいのか分からない。
リヒトという人間も、立花理斗という人間も、どちらも同一人物であることは分かる。
今は混乱して冷静を保てないでいるだろうけれど、ちゃんと立花理斗という人間と向き合うことが出来たなら、好きになれるだろうって思う。
だけど……。
「三年前はまだ大学生だった。ダチに教えてもらったネトゲにはまって、遊んで、そこでお前と出会って。まさかオレが、シオンが通う高校の教師になるなんて思いもしなかった。……想像もしなかったさ」
私が黙り込んでいる間、彼は昔を思い出しながらそんな話をしてくれた。彼の言うことはもっともで、正直どうすることもできないことなんだろうというのはよく分かる。
三年前、私はまだ中学生だった。そうなると立花先生もまだ先生じゃないわけで、その頃に今の現状を予測するなんて無理なことなのは仕方ない。
「あー……今日のオレのプラン全部崩れたな。この後いい感じになったら告白するつもりだったのに」
自嘲気味に話す彼は、すっかり脱力したままだ。
その言葉の中にはとんでもないワードが隠されていたのには気付いているのに、私はどういうリアクションをすればいいのか分からなくて驚くこともできない。
「……私も、どうしようって……思います」
途方に暮れるという言葉が似合うこの状況で、何を選ぶことが正しいことなのだろうと考える。
「でも、きっと逃げられないんだろうなって……そう思う。好きって気付いてから、ずっと」
結局、辿り着く場所は元いた自分の場所だった。
最初から教師だって分かっている人間を好きにはならない。叶わないから。面倒だから。
でも、今回は異例の出来事だから仕方がない。
後々教師と知ったとしても、そこですっぱり好きを捨てられるかと言われれば……とてもじゃないが無理だと私は思う。どんな現実を突きつけられても、好きに囚われた私が簡単に逃げられるとは思えない。
「私も今日、全部決着を付けたいって思ってた。好きって言いたかった。相手が先生なんて予想もしなかったけれど……それでも、諦めるのは……無理です」
敬語を使えばいいのか、普通どおりにすればいいのか……それさえも気遣うことができなくて、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
こんな形で告白するなんて思いもしなかったし、想定外の事態が起こりすぎている。
……きっとここでハッピーエンドになったとしても、厳しい現実が待っているのは明白だった。教師と生徒が付き合ったって、表立って付き合えないであろうことは想像できる。苦しく思うことも、もしかしたら後悔する事も……あるかもしれないだろうと、そう思ったりする。
けれど……バッドエンドと比べるのなら、やっぱりハッピーエンドを選びたい。
どっちにしろ苦しいのは同じだから。
「頑張れるのか?」
必死で泣かないようにと堪えていた最中、立花先生が優しく問いかけてくれた。これからの未来を見据えた質問からは、真剣な気持ちが伝わってくる。
「オレは、学校では特定の誰かを特別視したりはしない。誰が優秀で誰が劣っていようが、誰しも平等に接してる……それがオレのモットーだからだ。それに、あんまり世間的によろしくない事態は避けたい。教師になったばかりだし、正直本当は、ここで諦めるという道を選びたいって思う」
そこで一つ区切りがついて、私は一つ息を呑む。彼をじっと見つめながら、この先の言葉に怯えてしまった。だけどそこまで時間がかかることなく、次の言葉はすぐに私の元へ届く。
「でも、オレもシオンと同じだ。好きは好きのまま変えられない。今日初めてネットゲームのリヒトとシオンという人間がリアルで出会って、シオンは思っていたよりもずっと可愛くて、話していてもネトゲとは全然変わらない。やっぱり楽しいままで、オレが好きなシオンはそのままここにいたんだ。できるなら、離れたくない」
そして気付けば、私は涙を流していた。いくらポーカーフェイスが得意だとしても、それは冷静さがなければ成立しないもの。イレギュラーが続く現状に冷静さを失う私には、到底続けられるような代物ではなかった。
「あ、悪い……。何かいけないことを言ったか?」
私の涙に驚き慌てる彼に、私も同じように慌てる羽目になる。
「えっと、嬉しいから泣いてるだけ、です……悲しいなんて、ないです」
考える暇もなく飛び出す言葉に、唐突に照れが襲い掛かってきた。
さっきまで散々好きだとか告白とか照れるワードは飛び交っていたはずなのに、必死すぎて忘れていたせいなのか、その時照れることはなかったこともあって反動は大きい。
「私、頑張りたい。今日がとっても楽しくて幸せで……その時間を、少しでも引き延ばしたいって……そう、思うんです」
質問の答えは、あまりにもシンプルにすんなりと飛び出していく。
好きという気持ちが私の背中をぐいぐいと押すものだから、付き合う際に伴うリスクなんか関係ないと叫んでいるように思える。ダメなことは分かっているのに。
涙を拭きながら先生に笑みを向けると、意表をつかれたような表情を浮かべた。
そして、次の瞬間には同じように笑みを浮かべる。学校では絶対に見たことがないような……優しい表情だった。
「じゃあ、仕切りなおすか」
一つ言葉を紡いで、優しい表情のまま私を見つめてくれる。
「オレはシオンに想いを伝えるためにここに来た。オレはシオンが好きだ。交際を申込みたいと思っている」
ほんのりと赤くなっていく頬に、優しい表情が少しずつ緊張に変わっていくのを見守りながら……私は心の中で頑張れと呟いた。
「オレと、付き合ってください」
自分で言うのもなんだけど、何でも完璧にこなしてきた私が告白されることは少なくない。いろいろな人が、それぞれ好きという真剣な気持ちをぶつけてきた。中には明らかに下心が丸見えの人間だっていた。でも、どの愛の言葉にもときめくことがなくて、私は一度だって誰かと付き合ったことはない。
だって……彼らの好きな私と言うのは、どこまでも完璧な人間を貫き通す私だから。
もしも私の駄目なところを見てしまえば、本音を見てしまえば……彼らにかかっていた暗示は全て解けてしまう。
それがどうしても、どうしても恐ろしかった。
私はずっと、素の自分を知った上で好きになってもらいたかったんだ……。
そしてその条件は、彼なら満たしている。
だから私は、この人を好きになったんだ。
緊張で固まった先生の手にそっと自分の手を伸ばす。
一度だって触れたことのない先生の手に触れた私は、偽りも何もない、心からの笑顔を浮かべた。
「私も好きです。こんな私ですが、よろしくお願いします」
初めての告白は、思っていたようにうまくできなかった。
でも、結果的に実ったのだからよしとすべきなんだろう。
「ありがとう」
一言彼が呟くと、私の手をしっかりと握り返してくれた。
……両想いがこんなに幸せなものなんだと知らなかった私は、嬉しくてもう一度涙を零した。
Copyright (c) 2013 Ayane Haduki All rights reserved. (2013.01.13 UP / 2018.05.06 加筆修正版UP)